三国旅行体験談

無座の果てに…九江引ったくり事件

 曹操の故郷亳州を完全制覇し、わたわたとサル甘寧の三国志旅行(完結編)もいよいよ乗りに乗ってきた。次なる目的地は呉の最前線基地九江!亳州→九江行きの火車票(汽車の切符)もしっかり確保した。買った切符は7時間の無座(席なし)だけど、そんなことは気合でカバーしてやるぜ!

 いざ出陣!亳州駅プラットホームで人民にまぎれながらわれ先と乗り込むわたわた&サル。しかしそれも無駄な行動であった事はすぐに明白になる。列車内は身動きがほとんどとれないほどのこみっぷり。この列車は北京始発深セン行きなもんだから途中下車はほとんどないことくらいはわかるけど、まさかこんなにすごいとは!しかも九江までは中国7回目の我々でも聞いたことがない地名ばかり…。意を決していつもの“一人瞑想モード”に入った。間もなくして一人の女性人民が騒ぎ出したではないか!何事だ?話を聞いていると満員列車の中で物を取られたらしい。さすが中華人民共和国、恐るべし!俺も注意、注意。着ているジャンパーを脱いで腰に巻き、ポケットの中に手を突っ込めなくさせた。そう、人一倍“危険”には敏感なわたわたは、完全武装体制を敷いたのだ。

 同じ体制で立つこと7時間…。以前何度か同じような経験はあったけど、今回はまったく身動きできないのがつらかった。列車の窓から長江が見えた!遂についたぞ九江!しかし指揮は高いけど体はついてこない。

 九江駅に到着後、目的地「煙水亭」に近いホテルへ行くことにした。九江は去年サルが来ていたので、問題ないはずだ。そうあの98年長江大洪水の時にサルは九江にいたのだ。駅前ではボリボリタクシーの誘いがすさましい。体の疲れは極限状態にあったけど、ここでボリタクなんか使うわけには行かない。こんな疲れた状態ではまじでボッタクられてしまう恐れがあるからだ。きゃつらの魔の手から逃れるようにして1路のバスに乗り込む。九江マスターサルがいるから問題ないのさ。

 バスの中でサルが運賃を払おうとしたけど、荷物が多すぎて財布が出しにくいということで、代わりにわたわたが払うことに。ここからわたわた7回目の中国にして最悪事態発生のイエローシグナルがともったのだった!間もなくして九江マスターであるはずのサル甘寧がただのサルだということが判明。「あれぇ?煙水亭もう過ぎちゃったかなぁ?」「うぉっ、行き過ぎた!ここで降りるぞ!」この時点でイエローシグナルは激しく点滅!「ぬゎにごとじゃ!?」わけがわからずたくさんの荷物をまとめてあわてて降りようとする二人の前に、中華人民共和国最凶の九江王・鯨布(ゲイフ:項羽と劉邦時代の悪名高き武将)ならぬボリフが立ちはだかったのであった。シグナルはレッドに変わる!

ボリフ:「ちょい待った。まぁまぁ慌てずにゆっくり、ゆっくり。」
サル:(なんじゃこいつは?疲れている時にわけがわからんことをほざきおって…。)
わたわた:(おいおい、サルよ。何つっかえてんだよ!疲れてるし、急いでるんだから早く降りろよ!)
サル:(え〜い、しゃらくせえ!強行突破だ!)ズサッ!ボリフをでかい荷物でおしのけて脱出。

わたわたVSボリフ!

ボリフ:「ほら、ゆっくり、ゆっくり。」
そして持ってるきたねぇ傘で俺のひざをガンガンたたいてくるではないか!わけがわからないわたわたはジャンプ一番そいつの執拗な傘攻撃をかわして脱出!か?
がしぃ!ブチッ!一瞬で何が起きたか察知したわたわた。やられた!財布につけていたチェーンごと切られた!!もうシグナルはブラックだ!!バスのドアのところでサルにやられた旨を告げ、再び乗り込む。もうわけがわからず絶対に取り返すとだけ心に誓ったわたわた。そこでボリフに殴りかかろうとした瞬間。奥にいた人民が「お前の財布はここにあるぞ。」と指差すではないか。あぁ、よかったとばかりに財布を手に急いで脱出!奇跡の生還だぁ!!とうかれるわたわた…。

 3秒後、全てを理解したわたわた。財布の中身を確認すると…。やはりないっ!!人民元、日本円合わせて5万円近くが吹っ飛んだ!前日に大量に両替したばかりで、いつも別のところに保管するのに、この時に限ってめんどくさいから明日でいいやとほっといておいたのだ。あまりに財布がぶあつすぎてパクられたのに気がつかなかったのであった。

 後から思い返してみれば、俺が傘攻撃を受けている時に、後ろの腐れ外道・その名も"子ボリフ"が俺のポケットに細工をして、チェーンに何かを引っ掛けて降りるときにひっぱたにちがいない。あんなにもたついていたのに、運ちゃんと切符売りが何も言わなかったのはやつらもぐるであった証だ。

<わたわたの敗因>
1.せっかく列車の中で完全武装したのにジャンパーが短すぎてポケットを全部隠すまでにはいたらなかった。
2.ボリタクをかたくなに拒みバスに固執しすぎた。
3.運賃を払う時に財布を見せてしまった。
4.いつもは香港人やらジャッキー・チュンやらイスラム人に間違われるのに今回は荷物で日本人とばればれであった。
5.盗難防止のためのチェーンは今回に関しては釣り糸であった。
6.大金を財布に入れていた。
7.7時間の無座の結果、思考回路が破壊されており、適切な行動をとることが出来なかった。

 この事件以来、毎朝の合言葉は「九江王・ボリフには報いを!」となり、少なからず指揮が下がったのは言うまでもない…。
三劉版・赤壁の戦い

 三国志最大の聖地・赤壁。赤壁進攻を目前にして、やたらと士気の高いサル甘寧。(士気:120超。ちなみにわたわたは、数日前九江王ボリフに痛恨の一撃を食らい半死状態。士気:3)ことあるごとに意気消沈しているわたわたの横で踊り狂ってやがる。まさか今日こんなにも期待を裏切られ、えぐい思いをするとは知らずに…。幸せな奴よ…。

 洪湖行きのバスで、赤壁を目指す。長距離バスにしてはひどく混んでやがる。それにしてもこの辺の交通の便の悪さは他の地域では考えられない。三国赤壁。この偉大なる観光名所に観光客はほとんどいなかった。まぁ、そんなことは重要ではない。

 まずは拜風台へ。中には赤壁で活躍した英雄達の像がある。そして陳列館。土産はここがメインではあるが、あまり期待できないし、少し高い。値が全く下がらなかったため買うのを断念。巨大な周瑜像を通過して下に下りればあの有名な"赤壁"の文字を刻んだ崖に出ることができる。これは想像より小さかった。それでも満足な俺とは裏腹に、サル甘寧の怒りは沸点を遂に越えた…。急に騒ぎだした(踊りも有り。)ではないか!なんでも、期待しすぎた赤壁に失望したらしい。まぁ、三国志の名所で土産物を過大に期待するのは禁物である。最後に鳳雛庵を見学。堂の前では何やら人が集まっている。どうやら春節を祝っていたらしい。もう春節からかなり時間が経っているのに、爆竹の音はよく耳にするし、一体この国の人民はいつまで正月気分なのだろうか?

 赤壁を見終えたところで、計画の修正をすることに。本来赤壁で一泊するつもりが、街唯一のホテルに宿泊を断られたからだ。結局全て荷物を持って赤壁を見学していたわけであるが、このままさらに烏林と白衣庵(呂蒙関連の遺跡)を捜索しながら洪湖まで歩くことに。全長20km以上。普通ならこの時点で自らの愚行に気がつくべきであった。長江を船渡しで渡り、対岸に上陸。烏林までひたすら歩き、あと一歩というところまで来たところで、敵の伏兵に遭う!そこには底無しと思えるほどの沼状地帯があったのだ。サル甘寧はなんとかかわした。わたわたもジャンプ一番敵の攻撃をかわした!はずであった…。しかし着地したつま先の感覚がおかしい。や?やわらか〜い?やわらかすぎるぞぉ!ズブズブズズゥ…。はまりにはまってドロドロになるわたわた。靴も靴下もカバンも服も全てドロドロだ。そしてはずしたわたわた愛用のGショックまでが無残な姿に…。さすがのGショックも耐泥構造にはなっていないのか?そしてこれを見たわたわたは遂にキレた。(よくキレます。)サルがよこした棒も全く役にたたない。結局どうやって脱出したのかはっきり覚えていないほど、もがきあがき滅茶苦茶になった。

 本当に今回の旅行は運がない。怒りを抑えながらひたすら街を目指して歩く、歩く。白衣庵は今日は中止だ。午後7時日が暮れたところで、オート三輪のおっちゃんが二元で洪湖まで乗せてくれた。大体午後3時でバスがなくなるとは一体どういうこった!?それでも天下の赤壁と言えるのかぁ!最初から歩くつもりではいたけど、フル装備で歩くのはイカレていた。久しぶりに歩いて、はまって、ドロドロになった一日…。

 せめてもの救いは洪湖で泊まった旅社のお姉ちゃん達が本当にいい人だったこと。久しぶりに人民の偉大さを感じたけど、その代償はあまりにも大きかった…。
悪夢のメリークリスマス

 今まで何度も中国大陸の土を踏みながら、中国でクリスマスを過ごしたことはたった一度だけ。キリシタンでもないわたわたはなぜか教会に祈りを捧げに行き、本格的なクリスマス気分で満たされていた。最悪のクリスマスになることも知らずに…。

 それにしても我が第二の母校、北京語言大学は世界各国から留学生が集まっているだけあって、クリスマスの過ごし方も多種多様。一応静かなる日本人わたわたは12時前に部屋に戻ることにした。同部屋のフランス人、その名も"アントワン君"はもちろんまだ帰ってきてない。陽気なおふらんす軍団は皆でダンスパーティでも開いているのだろう。部屋に入った時にちょっとした変化に気づいた。アントワンが心待ちにしていた電話がやっと設置されたのだ。"でもなんで電話が裏返しになってるんだ?パソコンと接続するために裏でも見てたのかな?"ま、これでわたわたも愛機"モバイル・ギア"をフル活用して日本と通信できるし、細かいことは気にせず寝ることに。

 そして夜中の3時頃。やっとアントワンが戻ってきたようだ。さすが陽気なおふらんす人、遊び人よのう。ここで異常事態発生。超絶焦った表情で俺を起こすではないか!オイオイ、今何時だと思ってんの?よく酔っぱらって部屋に戻ってくることはあったけど、起こされたのは始めてだよ。

 『オイ!みぇんぐー(わたわたのこと)!俺の愛機・IBMパソコン知らねぇか?』(ア)
 『知るわけないじゃん、そこにあるでしょ!』(わ)

 ないっ!本当にない!アントワンが毎日可愛がってるパソコンがっ!!(本当に毎日可愛がっていました…。)これはえらいことだ。アントワンは携帯を使って友人を呼び、そして公安にも連絡。夜中の三時半から調査開始。そして公安へ強制連行された!アントワンとは別室で尋問を受ける。

 『う〜む、同部屋の君はどこで何をしてたのかね?』(公安T)
 『(クリスマスなのにと思いつつも…)飯食って寝ただけだ!』(わ)
 『君はそれを証明できるのかね?』(公安U)
 "う〜っ、これはよくテレビドラマで見る展開だ!でもなぜカツ丼が出てこない!?"
と内心思うほど、わたわたに余裕はない。

 『よし、こいつの指紋をとれ!』(公安T)
 『イエッサー!』(公安U)

 日本でも指紋なんざとられたことはなかったのに、このざまはなんなのだぁ!?今後中国でやばいことをやると(やるつもりはないけど…)すぐ吊るし上げられてしまうではないか!

 結局尋問が終わったのは午前5時近く…。次の日の授業はもちろん爆睡状態。そして連日の尋問が待ちうけていたのであった…。

 真犯人に告ぐ!!俺の大事なクリスマスを返しやがれ!それにしても一体誰が盗んだのか、真相はわからずじまいである。
尿絶!楽山行きバスで我慢できなかった男

 新・世界七不思議の一つ(『世界不思議発見!』認定)、"楽山大仏"を目指すことになったわたわたとサル甘寧。どのくらい大きいかというと、あの"サイコガンダム"の1.5倍以上!!その巨大さを聞いて行かぬわけにはいかない。

 当時(1997年3月)は成都⇔楽山の高速バスはなく、片道6時間程の道のりだ。朝6時の起床と寒さにも負けず気合は十分。

「う〜ん、体調がやや不良かな。フッ、でも6時間なら楽勝やで!」

 と自分を励まし御馴染みの超絶オンボロバスに乗り込んだ。普通中国の長距離バスは、途中で人を乗せることはあるけど、基本的には直通。でも今回のは途中でわんさか人が乗ってくる、マジで最下級クラス。もう席ないってのに、通路の真中に長椅子置いて無理矢理座るいつものパターンになってるし…。身動きがとれん状態だ。

 出発から3時間程たったところで、わたわたピ〜ンチ!何がピンチって、"放尿してぇ!"

 「まぁ、落ち着けわたわたよ。ここは呼吸法で乗り切るのだっ!えいっ!」
→「だめだぁ、まだ半分しか来てないし…。呼吸法ではもたん!」
→「ということは…。無理矢理トリップ(=強制睡眠)大作戦だぁ!」
→「寝れねぇよぉ…。マジ助けて…。」

 とここまでサル甘寧に気づかれず、(っていうかあいつは気持ちよく爆睡状態。気づくはずもない…。)なんとか持ちこたえた。冷静に考えて一番良い方法はバスを停めて待っててもらうこと。でもこのバスは、6時間も走るのにはっきり言って普通の路線バスだ。そして中国語能力不足+方言天下のここ四川ではそこまで説明するのにも骨が折れる。もしかしたら"格闘中"に漏らしてしまうかもしれない。ここで一つの良策が、わたわたの脳裏に駆け巡った!

 「おい、サル甘寧!なんかビニール袋持ってない?」(わ)
 起こされたサルは超不機嫌そうに、「あぁ?何に使うんだよ?」(サル)
 「トイレだっ!」(わ)
 「ない…。漏らしたら縁切るぞ。」(サル)
 「ガ〜ン!もうだめだぁ!」(わ)

 その瞬間、バスが停留所に停まった。チャ〜ンス!通路の人民をまたぎながら出口のドアを目指すわたわた。サルは寝起きのため呆然とわたわたの行動を目で追うだけ…。。おっしゃ!とガッツポーズをとりたかっけど、その暇もなくその場で放尿!!全てを出しきった後の爽快感は3年半たつ今でもはっきり覚えているほどだ。そして、終わった後に我に返ったわたわた。

 「はっ!?俺の目的は放尿ではない!楽山大仏を拝むことじゃぁ!」

 ウォォォッ!!待ちやがれぇ!!と走り去るバスを全速力で追いかけるわたわた。漫画のように格好よく飛び乗れるわけもなく、オンボロバスは走り去って行った。サル甘寧を乗せて…。

 まじ、やべぇ!どうしたものかと考えてたところで人民に囲まれた。

 「おい、お前"峨眉山"行かねぇか?」(人民)

 はぐれちゃったし、こうなったら峨眉でも行くかぁ?と思った瞬間、楽山行きバスの客引きが登場!どうやらこの地は楽山方面と峨眉方面の分岐点のようだ。

 νオンボロバスでいざ楽山へ!それから4時間程して目的地に到着。う〜ん、サル甘寧はやはりいないかぁ。奴はどこへ?と思った瞬間後ろから叫び声が!なぜか先に行ったはずのサルが第二陣で現れたのだ!奇跡的(?)に感動の再会を果たせた二人。無事に楽山大仏を拝むことができたと言うわけ。

 その後わたわたはバスに乗る度にこの"事件"のことを思い出すことは言うまでもない。
中国公共汽車をなめたらいかんぜよ!

 97年3月、わたわたは初めての一人旅をしていた。旅の目的はもちろん三国遺跡。南京で孫権墓を制覇したわたわたは、次なる目的地鎮江を目指し、勇んで“公共汽車”=バスに乗りこんだ。中国のバスはほんとにオンボロから超ゴージャスなものまで様々。今回乗ったのはオンボロだったけど、2時間だけだから特に問題無しのはずだった…。

 旅の疲れからかわたわたは睡魔に襲われる。でも気持ちよく寝ているところを邪魔されたのだった。“ん?なんかつめてぇ!?”思った瞬間上を見ると、バスの屋根の隙間からものすごい勢いで水が漏れてるではないか!“んなわけねぇだろ!”と我が目を疑ったが、マジすごかった…。“ポタポタ”なんてもんじゃない!“ジョアァァッー”ってかんじだ!しかも水が溝をつたって全てわたわたに降り注がれているではないか!これじゃ雨降ってる外の方が数倍ましだぜ。まったく…。

 到着後、鎮江では気を取り直して三国志関連の遺跡を満喫。いい気分で帰りのバスに乗りこむわたわた。すかさず屋根を見る。なんともない。“うーん、今度はまぁまぁだ。”と思う。いざ出発!と、10分もたたずにバスが動かなくなる。というより動けなくなった。途中乗ってきた乗客二人がけんかを始めたのだ…。しかもなぐりあい。ついでに言うと男と女。もっとついでに言うと女のほうが優勢だ。そんなこたぁどうでもいい。聞けば、ひじが当たったとか超絶幼稚な理由だ。お前ら降りてやってくれ!20分は停車してただろうか。結局二人は降りず、男のほうははれあがった頬をおさえている。この姿がまた間抜けだ。もう怒りを通り越してあきれ果てるわたわた。

 やっとバスが動き出して、10分もたたないうちにまたもや急停車。“今度は何事やぁぁ!”事故だ…。俺らの乗ってるバスが人民チャリをふっ飛ばしやがった。“あぁぁっ!運ちゃん!なにしてんの!!”野次馬にバスが取り囲まれ動き出す気配無し。

 結局、バスを乗り換えようやく脱出。教訓:“中国での2時間のバスなんて楽勝だぜ。”なんて決して思ってはいけない。中華人民共和国公共汽車様をなめたらいかんぜよぉ!!


待ち合わせは“武漢空港”

 今回の旅の目的地は『甘寧墓』。サル甘寧が夢にまで見た場所だ。三国遺跡を追い求めて始めてから早5年。ようやく甘寧に関する遺跡の情報を探し出すことができたというわけ。

 場所は湖北省陽新県。なかなか奥の方だ…。わたわたは名古屋→天津→北京→武漢、サルは東京→上海→常州→南京→武漢と、それぞれ別に入蜀ならぬ“入武”することにした。

 待ち合わせは武漢ということで、二人とも日本で中国国内線のチケットを確保。名古屋人になってから1年も経っていないわたわたは、いつも使っている旅行代理店を使えず少々苦戦。値段もかなり高かったけどなんとか北京→武漢行きのチケットは確保できた。

 出発当日、名古屋空港カウンターで実際にチケットを受け取った。早速中身を確認。出発日時:12月30日。ふむふむ、OK。FROM BEIJING… OK!TO WANGJIADUN??あぁ?“WANGJIADUDN”ってどこやぁ?カウンターに戻ってしっかり確認しようとすると、人っ子一人いないではないか!隣のカウンターの人に聞いても知らぬ、存ぜぬとのこと。う〜む、どうやらそこのカウンター利用者は俺一人だけで、従業員はもう帰ってしまったらしい。しかし気になる“WANGJIADUN”。「これは武漢ではないんじゃ?道理でチケット代が高すぎると思ったぜ…。」一人思案に暮れるわたわた。結局チェックインカウンターで確認することに。5分くらい待たされて、「武漢行きです。」「なぁ〜んだ、大丈夫か。」

 そして待ち合わせ当日。遂にやってきました武漢へ。サルに会ったらまず諸葛瑾墓に到達できたか聞こう。着陸直前に機内アナウンスが流れた。「当機はまもなく漢口空港に到着いたします。」「なぬ?漢口?武漢空港は漢口ではないはず?(武漢は3つの地域からなり、漢口は西南部にあたる。)」飛行機の窓から見ても、長江をぶち抜いて漢口に降り立ったのは確認できた。つまり中国語の聞き取りミスでもない。(この時ばかりはミスの方がうれしかった…。)

 空港に到着して全てを悟ったわたわた。はっきり言って超しょぼしょぼ空港だ。飛行機から降りてまたたく間に出口まできた。一瞥してすぐサル甘寧がいないことはわかる。うぉ!わかってはいたけど、やっぱはめられた…。聞けば武漢には空港が二つあるとのこと。偉大的首都・北京様でも空港は一つなのに!(ちなみに二つ以上機能している空港があるのは上海・鄭州など。)まさか、武漢が北京を既に越えていたとは!?こりゃ初耳だわ。

 とりあえずしょうがない、もう一つの空港に行くしかない。ちなみに午後2時を過ぎた時点で各自別行動をとると決めていたので、急がねばならぬ。おらぁっ!ダッシュするまでもない小さな空港前広場でバスを探す。ないっ!とわかるまでコンマ5秒もかからなかった。おらぁっ!タクシーぃ!一人では絶対タクシーに乗らないわたわただけど、今回ばかりは仕方あるまい。
わたわた:「もうひとつの空港までいくら?」
運ちゃん:「普通ならもっと高いけど、150元でいいよ。」
っていうか俺をなめてんのか?十分たけぇんだよ!結局ぼられているとわかりながら80元で話がついた。今回は時間もないししょうがない。
 案内された車は“白タク”の文字通り白いではないか!まったく本来なら絶対こんな奴にははまらんのに、他に交通手段がないんだからマジでしょうがない。出発後15分して民航前で車が停車。なんでも車が故障したらしい。あぁ、はめられた胡散臭い奴の常とう手段だ。なぜか運ちゃんもチェンジして再出発。
ν運ちゃん:「80元だって?普通なら乗せない値段だぜ。高速代はお前が出すんだろ?」
くわぁ!きやがった!いつものパターンだ。
わたわた:「出すのはお前。足りないんならさっきの運ちゃんからもらいな!」
こんなやりとりが空港到着まで続いた。降りる時に90元払えとほざいていたν運ちゃんを完全無視してダッシュするわたわた。見るとさっきの空港とは比べものにならんほどすばらしいつくりだ。そして到着ロビーの人山の中からサル甘寧を発見。サルはまったく逆方向から現れたわたわたに驚いたようだ。

 何はともあれこうして無事に集合できたというわけ。今回会えなかったら甘寧墓発見もなかったであろう。一人になった場合は“南陽武侯祠を目指そう!”と密かに決意していたわたわたであった…。


荀ケ墓を探せ!

 わたわたの記念すべき10回目訪中のメインディッシュ、それが荀ケ墓だ!“今回のわたわたは一味違うぜ。荀ケの墓参りをするまでは日本には戻らん!”と心に誓い出発。

 情報によると荀ケ墓は安徽省寿県にあるとのこと。広州から入国して二日目に寿県の地を踏んだわたわた。時間の関係で全ての荷物を持ちながら捜索に向かったが、胸の高鳴りを抑えきれずにダ〜ッシュ!そこで考えたわたわた。“そうだメインディッシュは後にとっておこう。じっくり時間をかけて料理してやるぜ!”というわけでまずは寿春関帝廟に行くことに。簡易版地図を持っていたわたわたは余裕で到達出来ると信じていた。そして人民の案内で到着!余裕!が、関帝廟はぶっ壊れてた…。ここで焦るわたわた。“やばいぞ、嫌な予感…。”限りなく士気がゼロに近づく。“うぉぉ!荷物が重すぎ…。”

 “まぁ、そう焦るなわたわたよ!気分一新して文若を捜索せよ!”まずは寿春古城に登り、墓がありそうな場所の見当をつける。“墓巡りをはじめて早5年、このわたわたの千里眼をなめたらいかんぜよ!”場所を移動して通過する人民全てに聞きまくる。
わたわた:「(荀ケ墓と書かれたメモを見せながら)荀ケ墓どこにあるの?」
人民じっちゃん:「あぱ?わしゃ文字が読めんのじゃ…。なに?ジェンイキュ(※日本語風にアレンジ)墓?聞いたことないぞ。」

ターゲットをじっちゃんからおじさんに変更。
わたわた:「荀ケ墓はどこ?(この人にもメモが通じなかった。)」
人民おじさん:「アァ!?ジャンイク墓(※日本語風にアレンジ)」?んなもんねぇぞ。」

“うぉぉっ!なんだ!?俺の素晴らしい(自我自賛)普通話がなぜ通じんのだ??しかも、じっちゃんは字が読めんし…。”しょうがない、ここは文字が読める若年層にターゲット変更だ。
わたわた:「三国志で有名な荀ケの墓はどこでございましょう?」
人民A:「(隣の人民に対して)おい、お前聞いたことあるか?」
人民B:「知らぬ!」
人民C:「存ぜぬ!」

 結局聞き込みでは収穫ゼロ。それでも諦めきれないわたわたは自力で捜索することに。城門付近をとぼとぼと歩いているとかなり立派な石碑がわたわたの目に飛び込んできた!“おぉ!遂に見つけたぞ!荀ケ墓!それにしてもあんなにでっかい碑をつくってもらえるなんて、文若、お主は幸せ者よのう。”そしてダッシュして石碑の文字を確認。
「古文化城寿春」

 “そうさ、荀ケ墓なんて今はもうないんだよ。大体あるわけないじゃん。なに寿春まで来てんだよ俺は…。”自分を納得させて撤退を考え始めるわたわた。でももうちょっとだけと思いなおし、歩き始めたわたわた。そしてある一角に墓の気配を感じとった。“今まで行った墓の捜索・到達パターンの全てが脳裏に浮かぶ。今度こそ間違いない!奴はあそこだぁ!”一人時の声をあげ突進。前日の雨でびしょぬれになった丈1mくらいの植物の中を進み、沼を超える。そしてなんと碑が見えた!“おっしゃぁ!もろたぁ!墓探しのプロにして、「三国志劉備支援の会」会長、その名もわたわた様をなめるなよ!”もう、この感動と胸の高鳴りを止めることは誰にも出来ない。そしてびしょぬれになりながら墓に到達。早速石碑を確認。
「聖父母之墓」

 ガチョ〜ン!一般人民の墓ではないか!失望したわたわたは寂しく撤退。“あぁ、俺は会長失格だ…。何が墓探しのプロだよ、誰からもそんなこと言われたことないしさ…。”
 撤退途中、ズボンがずぶぬれになったわたわたを見たガキンチョに言われた一言。
「あいつ、漏らしてんじゃん?」
これが三劉会長わたわたの本当の姿であるのだろうか…。


安宿ゲット大作戦

 わたわた&サル甘寧が中国に渡りはじめた頃は旅人というより、完全に留学生であった。上海・西安・成都・昆明・北京…と留学先がどこであろうと旅の友は必ずどでかく重いスーツケース。帰りに三国志の旅をしようが、砂漠に行こうが、ドミトリーに泊まろうがそのスタイルは決して変わることはなかった。

 そう、あれは三峡下りを終え、武漢から上海へ飛行機で戻ってきた時のこと。我々はホテル代をケチる為、上海では有名な同済大学の留学生宿舎を目指したのであった。今となっては、武漢→上海を飛行機で飛んでるくせしてって思うが、当時の我々の旅に一貫性等全くなかったのだ。(そもそもスーツケース持って辺境行く旅行者がいるだろうか?)

 上海虹橋空港到着後のルートは…空港→延安中路→外灘→大学と公共汽車で移動するというもの。この単純でありながら完璧なはずのプランが道路工事によるバスルート変更により早くもそしてもろくも崩れ、気づくと人民公園東側にただずむ二人。まぁいい。“上海は俺様の庭だ!”と豪語するわたわたの提案で外灘までスーツケースを引いて歩くことに。“まぁ、たいした距離じゃないし。”とサル甘寧も快諾。“ガーーーー”と心地よく響くスーツケースの音が突然“ズー、ズッズ…”と鈍い音に変わった!振り返ると、重慶名物“棒棒軍”をも乗り越えたサル甘寧愛用のスーツケースにトラブル発生!!タイヤが変形し潰れているではないか。この時はじめてスーツケース持って辺境に行くことが愚行だと気づくアホな二人…。スーツケースに無理をさせすぎていたのだ。

 “え〜い、しゃらくせぃ!”とスーツケースを持ち上げて突進するサル甘寧であるが、『辞書をはじめとしたお勉強道具一式+生活用具1ヶ月分+成都で買いあさった三国志土産』をそう簡単に持ち上げることはできるはずもなく、10秒と持たない。 そんなサルをわたわたは助けようとするが、これも5秒ともたない。

 結局、バスを乗り継ぎ、サルの体力が限りなくゼロになるという些細な犠牲のみで、なんとか同済大学に到着。大学の門に入ると、サルの苦戦っぷりに気づいた人民コンビが、サルのスーツケースを人民チャリに載せて運んでくれたのである!さすがは偉大なる中華人民共和国!さすがは10億人もの善人とたった3億人のボリ夫によって構成されているだけのことはある!

 空港出発から2時間は過ぎ、日も暮れた頃にやっと大学留学生寮に到着。
わた&サル:「この留学生寮に泊まりたいんだけど。」
管理人   :「ダメ。」
わた&サル:「何で!?俺らは旅行者じゃなくて、留学生だぞ!」
管理人   :「ダメ。ダメ。絶対ダメ!」

 うぉ〜!こんなところで俺の非の打ち所のない節約プランを邪魔されてたまるか!とメラメラ燃えるわたわたを完全に無視し、サルが壊れたスーツケースを引きずりながら撤退を始めたのだ。
わたわた:「うぬぅ、敵前逃亡は射殺ぞ!」
サル   :「ほざくな!俺は絶対あのホテルに泊まる!」

“ビシッ!”とサルが指差したホテルはいかにも豪華そうなスリースター高層ホテル。

わたわた:「させるかぁ!それなら近くに二つ星がある。歩くぞ!」

 と少し遠くに見えるホテルを“ビシリッ!”と指差し返す。ここにきて少しでもケチろうと必至なわたわたであるが、体力の限界を超え完全に煮えてるサルを止めることはできなかった。

 結局スリースターに宿泊することになった。さらに翌日は部屋を確保しながらも日帰りのはずの無錫から戻れなくなり、金だけ払う羽目に。

 「中国旅行で完璧プランはありえない」と痛感した一件…。


馬桶って何?

 馬の桶と書いて中国語では“マートン”と読む。はて?馬の桶=マートンとは何ぞや?実はわたわた、以前友人が書いた『馬桶大全集』とも言える論文を渡されたことがある。この大全集を真面目に読みふける自分の姿を思い浮かべるとわらけてくる。なぜなら『馬桶大全集』は『便器大全集』なのだから。

 世界中を旅するバックパッカーは口をそろえて“中国は危険な国じゃないけど、トイレは世界一汚い”と言う。私は世界のトイレ事情は知らないが、中国のトイレは一通り見てきた。ここで、トイレに関する話を一つ。

 わたわたが昆明雲南大学に留学していた時のこと。留学仲間と一緒に週末旅行に行くことになった。行き先はバックパッカーに人気がある大理。夜行バスで約10時間の道のりだ。10時間と言っても楽山病(トイレがちかい)のわたわたにはかなり辛いものがある。

 留学仲間6人(男3人+女3人)で大理行きのバスに乗り込む。ここでちょっとした問題が発生。中国の寝台バスは2階建て(っていうか、1階を2層に分けてるだけだけど…)になっており、2階5人+1階1人に分かれて座る必要があったのだ。ここでわたわたが偽善パワーを炸裂させ『ここは俺が1階に座るよ…。』という展開を誰もが予想したのだが、私はその言葉を飲み込みじゃんけん大会に突入!

 わたわたの内心:『こんなとこで負けてたまるか!一人で寝てるところを財布でも狙われたらやばいし。まぁ、敗者は一人だけだから絶対に負けん!負ける気がしないわ!』

 うおぉぉぉりゃぁっ!ポンっ!

 はい、敗者即決定!敗者は…わたわた!くゎ、こんなことだったらはじめっから『俺が…』って言ってた方が全然カッコ良かったよ…。

 でもって、人民に囲まれ寝台に座り込む。何もかも忘れ人民とともに睡眠モードに入る1階わたわた。それに対するは、週末旅行を前に楽しそうに談笑する2階の5人。この差は何なのだ?

 バスが走り始めて約3時間後、真っ暗闇の中トイレ休憩のため停車。楽山病のわたわたはもちろん下車してトイレを目指した。暗闇の中、人民とともにトイレに到達。しかし、真っ暗で何も見えない。かろうじて前に台があるのがわかる。ちょっと高い台だなと思いつつも、わたわたはそれに足を乗せた。

!!!??

 と、その瞬間台が崩れ落ち“ざっぱ〜ん”という音がした。“ざっぱ〜ん”だと?と思ったのもつかの間、その“ざっぱ〜ん”が全てわたわたの足にかかったのだ。それは暗闇でも良くわかる感触、なまあたたかい液体が全て右足首に降り注いだのであった。

 全てを悟ったわたわた…。それは中国語でいうと“小便”というものであったのだ!そして足を乗せた台は台ではなく、今回の主役“馬桶”であったのだ。そうわたわたは便器として使用している桶を足でひっくり返してしまったのだ。この時の状態を敢えて表現すると、右足だけが溶けていく巨神兵(風の谷のナウシカ)になってしまったとしか言いようがない。これは参った…、後7時間もバスに乗らねばならないし、上には女の子もいる。何よりやばいのは靴を脱いで横になる為、隣の人民にバレバレではないか。

 そこで、一計を案じるわたわた。そうだ!知らねぇふりし〜よっと。バスに帰り何事もなかった様に靴を脱ぎ寝台に乗りこんだ。隣の人民は半分寝ているようなものだ。そしてわたわたが横になると、それとは逆に横の人民がむっくりと体を起こした。そしてわたわたに向かって一言。

 “チョウッ!”

 そう、訳すと“クサッ!”である。なぜばれたのだぁ!?って、ばれない訳がなく、わたわたの右足はバスが到着するまでの7時間、異空間をさまよったのであった。  


四川マウスの離間の計!

 2000年3月、卒業旅行で三国遺跡をまわっていたわたわた&サルは湖南省張家界で息抜き…、のはずが実は四川料理を凌ぐ辛さと巷でうわさの湖南料理にあたったサル甘寧。さすがは偉大なる毛沢東主席が絶賛するだけのことはある。

 三国志の聖地・成都になんとか辿り着いたが、サル甘寧はホテル(交通飯店)で寝たきり状態。これで旅の最後を飾るはずであった四川シリーズは次回に持ち越しになってしまった…。まぁ、病気なら仕方がない。しかもサルの衰弱ぶりはすさまじく、旅を中断して休養を取ることに。

 サルは寝るだけ、わたわたも街をぶらつきホテルに帰るだけの何もない日。そんな二人に会話もほとんどなく、夜はもちろん速攻就寝。

 翌朝わたわたは部屋のある変化に気がついた。机に置いておいた瓜子の袋のまわりに種の殻がちらかって置かれているではないか。(瓜子:かぼちゃ等の種を炒って少々味付けをしたもの。結構美味しい。)

 わたわたの内心:うぬぅ、サルめ!またやりよったな。部屋をちらかしやがって…。

 〜〜サルはちらかすのが趣味みたいな奴だ。以前同室で1ヶ月暮らした事があるが、わたわたサイドとサルサイドで部屋のきれいさが明らかに違った。最初の1週間はわたわたはサル甘寧の猛攻を必至に防ぎきり部屋の中央ラインを突破させじと踏ん張っていたが、1ヶ月後にはわたわたのベット以外全てサルに汚染されていた…。〜〜

 しかし、ここで言葉を呑み込むわたわた。サルはあくまでも病人だ。しかもこれくらいの事でキレていたらこいつとは一緒に生活できない。目をつぶって自分で片付ける事にした。

 前日と同じように何もない一日を過ごし就寝。そして起床。!んだとぉ!なんと昨日の倍以上の種の殻が超絶汚くちらかっているではないか!思わず人民が火車の中で瓜子を食いまくった後の光景が頭をよぎる。もう許せん!!病人とか言っときながら何夜中にこっそり俺様の瓜子食ってんだよ!しかも食い方がきたねぇんだよ!

わたわた:おい、サル!これはどういうことだ!
サル  :あぱ?
わたわた:食ったら食ったでちらかすんじゃねぇ!
サル  :?俺じゃない!知らねぇよ!

 サルの言葉には耳を傾けずひたすらキレまくるわたわたは、瓜子の袋にポツポツと穴が空いているのに気づいた。そして全てを悟ったわたわた。

わたわた:これはネズ公の仕業じゃ!

サルに謝るわけでもなく、今度はネズミに対してキレだしたわたわた。もちろんサルはわたわたにキレはじめた。そしていつものようにくだらない事で喧嘩をはじめる二人…。

 ちなみにその夜、真犯人をとッ捕まえてやると意気込んでいたわたわたとサルは、ネズ公がちらかす音だけはなんとか確認できたのであった。

 馬超と韓遂がカクの計にはまって仲違いするのは当然であろう。我々はネズ公の離間の計にはまってしまったのだから…。  


チャリンコ北京GP

 1998年北京語言大学に留学していたわたわた&サル。中国にどっぷりつかっていた我々の憩いの場は、“迪斯科(ディスコ)”でも日本料理屋“月屋”でも中国の秋葉原“中関村”でもない。ずばり日本が世界に誇る大デパート“そごう”なのであった!単品寿司とキリン・JIVEコーヒーを買って、そごう前で即食らう。これが月に一度トリップできる至福の時…。
 北京そごうは故宮からみて南西に位置する宣武門にある。大学からは南へ約10kmの道のり。

 秋のある日、いつものように我々を激しい発作が襲った!

サル   :“うぅぅぅぉぉぉぉっ!寿司くいてぇ!”
わた   :“いざ宣武門へ出陣じゃ!”
わた&サル:“ビバ、SOGO〜!”

 早速愛車の人民チャリを駆りひたすら南下。

<ハイ、そごう到着!>
<ハイ、ダッシュ!>
<ハイ、寿司&JIVE購入!>
<ハイッ、食った!>
<ハイッ、飲んだ!>

 は〜い、かえるよ〜!って俺らは野獣か?え〜い、こうなったら野獣ついでだ。速攻帰ってやるよ。わたわた&サルは協議の結果、西直門→大学までの約6km区間をチャリンコレースすることにした。

「チャリンコGP in 北京」
・コース全長:6km
・カーナンバー42:わたわたwithセナ号
・カーナンバー36:サル甘寧withサル号

 わたわたの必勝パターンはこうだ。

 “絶妙なスタートを決め、サルの前へ。そしてサルの奴めに1秒たりとも前を走らせない。後はこいでこいでこぎまくる!疲れたら気合&根性でカバーしてみじんこたりともペースを落とさない!結果、ぶっちぎりの優勝!!”

 完璧!我ながら完璧なプランを胸に秘め、スタート!

わた:“おりゃりゃりゃりゃぁっ!”

 戦略通り、スタートで前に出た。この瞬間わたわたの勝利は決定したのであったが、百獣の王ライオンは一匹のこっぱザルを狩るのにも全力を尽くすのである。そしてひたすらこぎまくった後、ふと後ろを振り向くとサルがいない。見えないのである。“きゃつめ!近道をしおったな!”と思ったが、よく考えてみるまでも無くコースは一直線。近道なぞできるはずもない。
 “え〜い、ここからは自分との戦いだ!”とますます頑張るわたわた。ゴールまで後数百メートルのところでラストスパートとばかりにがむしゃらにこぎまくった。そして、科技大学の前にさしかかった所で、チャリに乗った人民が突進してきたのである!“させるかぁ!突っ込まれる前にかわしたる!”だが、次の瞬間2台が「衝突」するビジョンが見えた。この速度だと確実にぶつかるのである。一瞬「マトリックス」のスロー&クイック360度特撮のような画が見え、よけきれるような気がした。が、実際はクラッシュ!そしてわたわただけが飛ばされた。まるでバッファローマンのハリケーンミキサーを食らったウォーズマンのように…。ちなみに人民は無傷。

 喝!勝つ!事故っても勝つ!そして残り数百メートルを全力で走り切った。体もチャリンコもボロボロだ。
 しかし、待てど暮らせどサルはやってこない。ようやく遠くに見えたサルは超絶余裕そうにチャリをこいでいやがるではないか!ここまで口笛が聞こえてきそうな余裕っぷりだ。
 ゴール後、問い正すと、実はスタート直後にトイレに行きたくなって数分間“ピットイン”していたらしい。

 “サル甘寧くん…、なめてんの?”これが、わたわたの正直な気持ちである。


ミセカケ排水口


 中国ではニセモノ、ミセカケ、ハッタリはあたり前。安い人民級ホテルでは洗面台で顔を洗うと、水が排水口に流れず、そのまま床を水浸しにすることがよくある。それは火車の洗面台でも同じこと。

 “火車の旅”と言って連想されるのは…、“夜行硬座”、“無座”、“ひまわりの種”、そして“来一桶”!この“来〜”は我々貧乏火車旅行者の強い味方なのだ。中国の方便面(カップラーメン)でそれなりにおいしいのがこの“来”。こいつに何度命を救われたことか…。

 さて、数年前に火車で長距離移動中、唯一のご馳走である“来”を食らった。うまかった!そんなこたぁ、どうでもいいのだが、残りのスープを洗面台に捨てに行ったときのこと。

 勢いよく上からスープを流すと、2秒後に下方でびちゃびちゃ音がした。はて?と思ったそのまた1秒後、今度は隣の小姐人民が悲鳴をあげた!何だ?何なのだ??この連鎖反応は??わたわたが行儀よくスープを洗面台に流したことが、3秒後の小姐人民の悲鳴&激怒につながっている?いやそんなはずはない!小姐は俺とは無関係の異次元空間で怒っているだけなのだ。落ち着け、わたわたよ。

 と、小姐の足元を見ると、何と!どっかで見覚えのある(っていうか明らかに“来”の)スープが靴にかかっているではないですか!そしてキレまくる小姐!怒涛の勢いで怒っているが、明らかに“あんた!私の高い靴に貧乏人スープをかけてんじゃないわよ!どうしてくれんのよ!”と言っている(ように聞こえた。)ではないか。は?これはもしかして俺のせいか?と一瞬だけ思ったが、すぐに全ては無関係だと確信!(意味不明…。)そして、その直後から隣の小姐人民はわたわたの視界から消えた。というか、消したのであった。

 あぁ、危ない。あんなのとまともにやりあったら火車から降りられなくなるとこだった。確かにわたわたはスープを流した。でも小姐の足にかかったスープはわたわたのものではない。あの洗面台は排水口につながっていなかったのではなく、ドラえもんの四次元ポケット並みに何でも出せるのだ。なんちゃって…。


恐るべきイエロー・マウンテン

2004年五一旅行のメインイベント。それは世界遺産・黄山でハッスルすること。この黄山は7年半ほど前にTBS『世界遺産』でその魅力を見せつけられ(というか緒方直人の渋いナレーションにひかれた…。)地元の友人達と登ろうか迷った挙句、結局関林を始めとする洛陽旅行に変更した過去がある。サル甘寧からも張家界を上回る最高の山と聞いていたし。

というわけで7年越しの夢に向かってハッスルじゃ!この時期最大のピークを迎える黄山の宿の多くは満室。我々はやむなく麓からさらに下った九龍山荘に宿をとった。起床5:30、6:00出撃。一緒に行動する同期二人のうち一人は、極端に朝に強く、しかも歩くスピードが早くかなりの距離を歩いても問題なし。もう一人はやや運動不足気味なるも絶対弱音を吐かない根性タイプ。そして歩き登山大好き人間わたわた。

いくら歩きが好きと言っても黄山の入り口まではかなりの距離があるようなので、ホテル前のタクシーに声をかける。すると100元!交渉してもたいして値段が下がらない。なめるなとばかりに歩き始める3人。しばらくすると面的(ワゴン型“ボリ”タク)が声をかけてくる。値段50元也。半分になったと喜んではいけない。メーターを使えば間違いなく20元もしないはずだ。高すぎると言っても何だかんだ理由をつけて引き下がらない。またも歩き出す3人。結局協議の結果、というかわたわたの罠により入り口まで徒歩で行くことに決定。もちろん入り口到着がゴールではなく、そこからがハッスル本番なのだが。

結局黄山の入場口までまるまる3時間かかった…。さすがにここまでかかるとは思っていなかったが、準備運動にはなったはずだ。そしてここからがハッスル本番。もちろんロープウェイに乗ってはハッスルできないんで徒歩で山登り開始!泰山の一八盤や華山に比べたら傾斜はきつくないものの、連日の疲れからかダッシュ登りは封印することに。まぁ、一人ダッシュしてもあとの二人が着いてこなければ意味はないのだが。

登るにつれて霧が濃くなり、辺りの景色がまるで見えなくなった。今回は前日上海で水分と食料を買い込んでいたので、意識がとびかけることもなく順調に登ることができた。約2.5時間でロープウェイの到着点・玉屏楼に到達。ここからさらに歩いて蓮花峰を目指すのだが、同期一人は運動不足が祟ったのかペースが上がらない。しかも霧がたちこめ視界不良&雨も降ってきた。

そう、最後に彼に声をかけたのは分かれ道の手前、条件の悪化を気にしてのことであった。ここら辺は部分的に傾斜がきつくペースが速い我々二人は少し先に行って雨宿りをしていた。10分、20分…、30分経っても彼は来ない。分かれてからはたいした距離はないんで、もしや足でもつって休んでいるのか?あまりの急斜面に戻っての捜索をためらっていた我々も遂に思い腰を上げた。わたわたが引き返して捜索することに。戻れど戻れど彼はいない。おかしい。結局玉屏楼まで何度かダッシュ往復することになり、これまで絶好調だったわたわたの足も遂に疲労のピークに達した。

それでも捜索の手をゆるめることはできない。これだけ探していないたぁどういうこった?しかも遺跡探しのプロのわたわたが全力を尽くしているというのに…。やはり遺跡と人では勝手が違うのか…。そんなのんきな考えも時が経つにつれて徐々に深刻化していった。

“もしや崖から落ちたのではあるまいか?”
“こうなるとどのタイミングで人民に捜索隊を要請するかがポイントだ。”
“あぁ!今年の春節の時、劉備廟でサル甘寧から「山は危険だから絶対離れるな!」と言われたっけ。”
“で、最悪の事態になったら、俺はどう謝ったらいいのだ?ご両親には何とお詫びしよう?”

こんな考えが頭を巡り出した。とりあえずもう一人の同期の所に一旦戻って相談することにした。すると、同期まで後50mのところで『一方通行』なるおたっしが出ているではないか。ここは強行突破しかない!日向君の直線ドリブルで警備員と、ついでに人民も吹き飛ばしながら同期のところまで辿り着くしかない。ビジョンが脳裏に浮かぶ。完璧!GO!と、余裕で警備員に捕まった!?完璧ではなかったのだ!

警:『お前一人を逆走させるわけには行かない!規律を乱すな!』
わ:内心“この国で何が規律だよ!”と思いながらも『友達がすぐそこで待っているから行かせてよ!』
わ:『しかも別の友達が迷子になって一大事なんだ!』
警:『だったら電話かけろ。』
わ:『友達は携帯持ってないんだよ!』

と、ここで雨がスコール並みの豪雨に変化した。わたわた以外はどこで手に入れたのか120%全員レインコートを着ている!(ちなみに泰山でもわたわた以外120%の人民が軍大衣着てた。)そうか!今日ホテルの売店で“今日は絶対雨が降るからレインコートを買え。”と言われたのはこういうことだったのか!と一応後悔してみるが、いくらずぶぬれになろうとも(というか既に“プールから2秒前に出ました”状態)今更買うわけにはいかんのだ!

そして汗が雨と一緒になって目に入り涙が出てきた。そうだ!ここで妙計、嘘泣きの計だ!劉備張りの演技で警備員の同情を誘ったはずだった。警備員は超絶気が遠くなるほどの迂回コースをご丁寧に教えてくれた…。

結局、財布の中のお札がぬれてひん曲がるほどずぶぬれになって同期と合流。なんとそこにはロストワールドに旅立ったはずのもう一人の同期もいるではないか!!合流後の二人の第一声。

『君、何やってんの?諦めて帰ってくりゃよかったのに。』

のうのうと傘なる文明の機器を使い雨宿りをして、涼しい顔でわたわたを迎えたのであった。わたわたのロストタイム約1時間。実は迷子になっていたのは俺?ハッスルしすぎた一日であった…。

高級マンションに住もう!

わたわたが夢にまでみた中国駐在。それを実現できただけで感無量であった。赴任当時はとにかくうれしくて、ホテル近くの中国らしいちっちゃな店で趣多多(チップス・アホイというビスケット;中国ではよく食べる。)を買う度に、中国にいる喜びをかみしめていたものだ。

というわけで“住まいなんてどうでもいいです!一人で安宿入ります!”という勢いであったが、結局ファイブスターホテルに入れてくれた。星が五つ…。この響きは学生時代、寮・安宿で暮らした私にとってどれほど素晴らしいことか。だって、部屋が3つもあるんだぜ!テレビも3つもあるんだぜ!冷蔵庫・浄水器・キッチンなんて当たり前。週末にはプレゼントもついてるし、朝ごはんもバリエーション豊富だ。中学生以来朝ごはんを食べていなかったこのわたわたの食生活を一変させたのだから恐れ入る。(っていうかただのケチか?)

そして時は流れた…。五つの星に囲まれてすっかり軟弱者へ変貌を遂げたわたわた。“景色が見えないじゃん!金庫ないじゃん!店遠いじゃん!レストランの小姐、愛想ないじゃん!!”そしていろいろな問題を乗り越えて(?)遂に引越しが決まった。約8ヶ月住んだファイブスターを離れるのはちょっぴり寂しかったものの、次に移るマンションへの期待はどんどんふくらんでいった。

ファイブスターから青島一の高級マンションへ!青島・中国の住居事情に詳しくない人にも分りやすく言うと、『F1名門のウィリアムズが最大馬力を誇るBMWエンジンを獲得したようなもの』もしくは『ニュータイプのジュドー・アーシタがZガンダムからガンダムZZへ乗り換えるようなもの』おまけに言うと『K1最強戦士ミルコ・クロコップが戦場をPRIDEにかえて人類最強を目指すようなもの』一番分りやすい例えは『今まで流浪の身であった劉備が、荊州を得ただけでは満足できず巴蜀も手中におさめたようなもの』お分かりいただけだであろうか?

とにかく中国にいるだけで満足なはずなのだが、もう後戻りできないところまで来てしまった。今住んでいる部屋で一番素晴らしいのは朝目覚めると、海が目に飛び込んでくること!(霧が多いんで毎日というわけにはいかない)そして部屋も広くて一人じゃ無意味なくらいのスペース。一度も使ったことのないキッチン。とにかく私にはもったいないのである。

が、異変が起きた…。やはりここは中国…。おかしい…。ある日部屋に戻るとノートパソコンが開いたままになっている。電源を入れてもバッテリーがなくなっていて起動しない。数日後、友人から電話が…。内容は“私が会社に行っている時間帯にMSNメッセンジャーが起動されている”というもの。これで何者かが勝手に私のパソコンを使っていることは間違いなくなった。

パソコンにはパスワードと張り紙をつけて魔の手から救出することに成功!(大げさ)しかし数日後、部屋のミネラルウォーターのタンクが日々減っている気がした。水くらいって最初は思っていたが、数日後新たな異変に気付いた!なんと!わたわた専用コップで勝手にお茶を飲んだ形跡を発見!!私の部屋にもお茶があってたまに飲む。緑茶だ。でも発見したのは明らかに黒茶系の茶葉だ。勝手に飲むな!飲んでも気付かれないようにコップ洗え!“カニングはしても見つかるな(私はこの意見には大反対だが…)”の理論と一緒だろうが!

激怒したわたわたは一計を案じた。名づけて『セロハンテープでハイキックの計』!説明しよう!タンクの水位の所に敵に気付かれないように透明のセロハンテープを貼る。翌日水位が落ちていれば敵が飲んだことは明らか。次回、休日に部屋の掃除を来るおばちゃんに詰問してもし吐いたら(おばちゃん以外が犯人の可能性もある)その時点でハイキック一閃!!完璧!!おっしゃ〜!

ちなみにこの計画セロハンテープを貼って、水位が落ちた所まで確認済み。あとはハイキックで止めを刺すのみだが、敵もいきなりわたわたのハイキックを、しかも後ろから食らうのは可哀相なので、本日付で勧告&警告書を作成した。私も鬼ではない。これで犯行をやめてくれる事を祈る!

にしても中国って本当に何でもありである。仕事でも波乱につぐ波乱(窓際でもだ)。帰ってからもハイキックの練習。これでは週末にはじけるしかないのである。最近のはじけ方は一日中バスで揺られることなのだが…。

見せろ!F1魂!

君は珠海という街を知っているだろうか?そう、あのバカな一部の日本人が集団売春をやらかして一躍有名になった街だ。いや違う!珠海と言えばF1。90年代後半から中国初のF1GPを開催すべく頑張っていた街なのだ。中国F1GPを是非実現させて欲しいとF1のドン、バーニー・エクレストンに嘆願書を書き始めてから早5年(嘘)、場所はかわれど遂に上海でのF1GP開催が決定したのだった。

個人的な話になるが、今回の上海GPまでの道のりは決して平坦なものではなかった。平日に休暇をとることがほぼ100%不可能な私にとって土日と言えども確実に休みをゲットしなければならない。なにせ国慶節の一週間前なので、休日調整と称して土日が出勤日になる可能性だってあるのだ。さらに運が悪いことに、ビザと居留証が書き換え中で私の手元に戻ってくるのがGPに行く前日だというではないか。(担当の怠慢で彼女の手元で眠っていたのだ。)担当者には“飛行機に乗る予定があるから絶対間に合わせてくれ!”と前々から言ってあったのに、当日フォローすると“駄目でした。来週になります。”の一言。“ぬわにぃ!だから前々から余裕を持って渡していただろうが!すぐに引き返して今日中に手続きせい!”と再フォロー。定時の15分前になってようやく戻ってきた担当者が一言。“あなたの為にわざわざ行って来たんだから、今度ご飯おごってね!”だと。反省するどころか飯まで要求してきやがった!まぁ、こんな感じで毎日楽しく仕事しているのである。

さて、無事に上海に到着して頼んでおいた旅行社でチケットをゲット。ここまで来ればもう勝ったも同然。後はサーキットでニッポン代表・佐藤琢磨を力の限り応援するのみである。と、ここで今回最大の問題点に気付くわたわた。サーキットから虹橋空港までは30分と聞いていたのでそれに合わせて帰りの飛行機を予約したのだが、実際は所要1時間15分、しかも待ち時間約1時間。(土曜の予選終了後、余裕で買い物してから帰ると1時間待ちだった…。)こ…、これはやばい?

とりあえず、予選終了後予約したホテル(招商賓館)へ行くことに。日本のサイトで予約したのだが、到着予定時刻の申告欄があって、“遅れる場合は必ずホテルに連絡して下さい。”とのこと。わたわたの自己申告は19:00着。これは自分的には2時間もプラスしてみたので、超絶余裕で口笛吹きながらチェックインする予定であった。

サーキットから虹口サッカー場に着いたのが18:30。ここから4年前(2000年版)の地図を頼りに和平公園近くのホテルまでダッシュ一本!細いわき道を疾風の如く駆け抜けていく。右!左!左!右!自分でも信じられないくらいペースがいい。今日は絶好調だ!自分に酔いしれるわたわた。わたわたナビゲータの音声、“アトゴフンデモクテキトウチャクデス。”ここで安心したのか歩き始めた。次の標識まで歩くと、自分が思い描いていた方角と全く違う方向に歩いていることが判明。もう一度冷静に考えて再度ダッシュ!標識発見!あれれ?どこだここ?という感じでさまよいまくっているうちに、試合終了のホイッスル!結局30分遅れて到着したのだった…。(後で判明したのだが、4年前の地図と現在の道はかなり違っていた。さすがは上海…。)

気を取り直して明日の撤退方法について一人作戦会議を開くことに。決勝当日に帰りのバス乗り場を下見して最終的にたて「完璧なる青島への道」作戦の詳細はこうだ!!

1.1位の選手がゴール後、わたわたの見学するストレートを通りかかった瞬間、撤退開始。
2.M席の土手から芝生を横切って下りショートカット。M席区を脱出。
3.バス乗り場方面に向かいながらサーキット出口から環状路へ。
4.最後は4番線バス乗り場、E9スタンド裏まで直線勝負。
※全行程ダッシュは必須。
※要すれば、前を行く人民を日向君の直線ドリブルで吹き飛ばすこともやむなし。
※トイレに行く時間はもちろんない為、朝から水分補給は禁止。

午後14:00レーススタート!≪超興奮のレース内容は今回は省略≫15:30過ぎ、一位ルーベンス・バリチェロがゴールする数週前から一部人民が撤退を始めた!“なぬ?レースを最後まで見ないとは!しかもきゃつらに先を越されてしまう!”しかし根っからのF1大好き人間わたわたにとってレース途中で撤退するなど考えられないこと。しかも我らがニッポンの期待の星・佐藤琢磨が6位入賞!ここはプラン1を変更して「琢磨が前を通過したら撤退開始」することに。

そして琢磨が来た!手を振っている!わたわたも手を振って拍手&琢磨コール!とすぐ様撤退開始。まずは芝生を横切ってショートカット!楊修墓捜索時に崖から落ちそうになった時の靴を履いていたため、(一体いつまで履くのだろう?)危うくこけそうになるも気合でカバー!ひたすらダッシュ。出口も無事通過して人民を次々に吹き飛ばし…、いやかわしていく!疾風怒濤、破竹の勢いとはまさに俺のこと!またも自分に酔いしれるわたわた。が、道半ばにして脱水症状がレッドゾーンへ。実は炎天下に関わらず朝から全く水分を取っておらず、観戦時から脱水症状ではあったのだ。撤退を開始する時にはF1エンジンの爆音+脱水症状で耳がほとんど聞こえなくなっていた。

記憶が飛びそうなところを気合でカバーしていたのだが、最後の最後で痛恨のミス!なんと、E9スタンドに向かってまっすぐ走るところをいつの間にか脇の道を走っていた。途中で気付くも、このまままっすぐ行っても軌道修正可能と思って突き進んだ。なぜ突き進んだかは今となってはわからない。ただのアホかもしれない。

結論から言うとこれは致命的ミスだったのだ。結局来た道をダッシュで引き返す羽目になったのだが、ほとんど手を突かんばかりに前のめりになって撤収。荷物も滅茶苦茶重いし遂にカラータイマーが鳴った!!吐く!?このままでは吐きそうだ。久しぶりに真の体力の限界を感じつつ撤退…。

係員に聞きつつようやく4番線乗り場に到着。既に人民の列が出来ている…。負けた…。完敗だ…。その場で崩れ落ち、肩をついて号泣したい気分であったが、この悲しみを乗り越えて列に並ばなければ本当に帰れなくなってしまう。しかし、負けたにも関わらず待ち時間約30分でバスに乗れたのは運がよかった。いや私の二重三重にも危険回避を盛り込んだ完璧プランのおかげだろう。完遂する体力がなかったが…。結局街に着いてからタクシーをつかまえるまで15分も要し、しかも渋滞にはまった…。最後の最後までタクシーに乗るか迷っていたが、今回はやむなし。タクシーに乗っていなかったら完全に青島には戻れなかっただろう。

今回は久しぶりに豪華楽々旅行ができると思っていたわたわた。が、結果はいつもと同じ…、どころか遺跡捜索ではありえないド根性ぶりを発揮!これぞF1魂!まぁ、プランのずさんさが災いしただけか?いや私のプランはいつも璧を全うできる。そう完璧だ。(救いようなし…。)

破れたり!学生票!

最近日本では韓流ブームの嵐が吹き荒れているようだが、わたわたにとっては98年が韓流“マイ”ブーム元年。98年留学時に韓国人の友達が結構できたわけであるが、彼らは皆友好的でいい奴らであった。

そう、あれは98年労働節の内モンゴル旅行でのこと。そこで今後のわたわた旅行人生を一変させる出来事にあった。内モンゴルツアーで同じパオに泊まった韓国人女子学生と仲良くなり、ふとしたきっかけで火車票には学生料金が存在することを知らされたのであった。当時旅の素人であったわたわたにとって、半額の学生票の存在を知ったことはまさに革新への第一歩となった。

韓流とか友好的韓国人などと前置きが長くなってしまったが、要は“わたわたはレベルが上がりました。魔法を覚えました!”ということを言いたかったのである。

覚えたての魔法は早速使ってみなければ気が済まない、というか半ば師匠の韓国人に強制されて一度買った切符を学生票に変更しに行ったのだ。さすがは人治の国(適当な国)中国!あっさり変更に成功!(今ではむずいか?)この時こそ、真の意味でわたわたが中国旅行界にデビューした瞬間であったのかもしれない。(初訪中から実に3年もの月日が流れていたのであった…。)

パワーUPしたわたわたは以降、もちろん全て学生票を購入。あの嘉峪関→天水22時間の道のりもわずか35元!このように98年夏一ヶ月の一人旅を乗り越え、さらに“できるようになった”はずであった。

そして日本のクラスメートと行った大同からの帰途でまたも学生票を購入。実はこの頃我々外人留学生にとって学生票は必ずしも最強の魔法でないことが判明していた。どうも本来適用されるのは本科生のみで、我々進修生留学生には無関係の代物らしいのだ。まず切符を購入する時に拒否されるケースもある。ということになると火車站から出るまで油断できない。

この時のメンバーをランキングリストにまとめてみたので見てみよう。

ランクS:わたわた、サル甘寧(共に一ヶ月の一人旅より帰還したばかりで、旅のエキスパートと自負している(た)。当時、語言長期留学中。)

ランクA:Mさん(お嬢様にも係わらず泰山に一人で行ってしまうなど、なかなかのツワモノ。当時、語言短期留学中。)

ランクB:墓マニアン(墓に対する情熱は超級だが、旅行レベルは並。)

ランクC:ダルミン(実は語学能力は6人中トップクラス。特に発音のよさ(こだわり)が光っている。但し旅行能力がそれと反比例していることも特筆に値する。当時、語言長期留学中。)

ランクD:Tさん(今回が中国初デビュー。結果的にわたわた&サル甘寧の強引な先導が彼女を苦しめることになった…。)

※ 全員中国語のクラスメート(日本の大学)
※ 墓マニアンとダルミンは「Chipo‘s World」<マニアック三国志旅行編>にも登場している。

今回、墓マニアンとTさんは学生票の適用外。残る4人が学生票を購入したわけであるが、当然要注意人物はダルミン!彼が関門を突破できればあとは問題ない。まぁ、Mさんも注意するに越したことはないのであるが…。

大同からの火車が北京站に到着!改札から出る時にはダルミンとMさんを見守る形でわたわたがしんがりをつとめた。まず切り込み隊長のサルが突破!一抜け!士気が上昇!そしてMさんも楽々突破!ダルミンも今日はやりおる!2抜け!3抜け!これで我が隊の完全勝利は成ったも同然だ!わたわたはわざと学生っぽい奴の後ろに並んだ。なぜなら彼が学生証をチェックされている隙に横を何食わぬ顔で通り抜ければいいからである。今日も決まった!わたわたの非の打ち所のない完璧プランが!

心の中で口笛を吹く余裕を見せて係員の真横を通り過ぎようとしたその時、何と呼び止められた…。え〜い、それでも学生証を見せてれっきとした学生であることを証明すればそれですむ。と、その係員はあろうことか"あなたは本科生ではないから、正規料金を払いなさい!"と痛い所を突いてきた。ここに長い長い闘いの幕がきって落とされたのである!

わ:本科か否かなんて関係ないでしょ!学生票は俺達学生みんなに与えられた権利なんだよ!

係:何をぬかしてるの?あなたは!規則は規則。決められていることは守りなさい!

わ:なんだよ!なら何であんたら、俺に学生票売ったんだよ!買う時はちゃんと学生証を見せているんだから、権利を認めたってことになるだろ?

係:それはあたしの知ったことじゃないわ!売った人のミス。

わ:同じ鉄道局の人間だろう!大体規則があいまいなんだよ。

(ここで、わたわたに無事通過した3人を密告しようという考えが浮かんだ。)

<以下イメージ>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
わ:係員さん!実は…、あいつらも!あいつら3人も僕と同じです!

係:何ですと!ちょっとそこの3人来なさい!

係員が3人に気を取られている隙に逃げる!もしくは俺一人だけ痛い目に遭うのは許さん!金を取られるときは3人同時だ!
「生まれた時は違えども、願わくば同年同月同日に死なん!」だ。まぁ、他の二人が願っているかどうかはこの際どうでもいいのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

という考えが本当に浮かんだのだが、模範学生であるわたわたがそんなことをするわけはなかった。

結局駅員室に連れて行かれ変な表を見せられた。何でも正規料金に加えて罰金も科せられるという!何!?こうなると無事逃げ切れた3人の密告をしなかったことが本当に悔やまれる(?)が後の祭り…。

しかしこのまま引き下がるわたわたでもあるまい。ここからが漢(おとこ)の見せ所である。罰金の免除に止まらず料金の値下げを要求するわたわた!このまま大打撃を食らって皆の所に帰ったら、奴らに何を言われるかわかったものではない。ここは奴らにSランクっぷりをとことんみせつけてやらねばなるまい!(捕まった時点で既にEランクに転落しているのであるが、頭が煮えているわたわたが気付くはずもない。しかもその時長い間待ちぼうけを食らっているクラスメートのわたわたへの不信感は相当なものであったらしい…。

何も知らないわたわたは意味不明にも交渉を続け、罰金の免除に加えて値下げ要求も勝ち取ったのである!勝った!!(いや、だから捕まった時点で負けているのであるが…。)“俺は貧乏学生だからこんなことで払える金は持ってない!”とかたくなに主張。追加料金票なるものを発行するのだが、目的地を強引に北京からかなり手前の站に変更させた。(いや、普通に考えるとここは北京站なのであるから、そんなことは不可能と思えるのだが、実際出来たのだ!)

捕まってSランクからEランクに転落した挙げ句、クラスメートを長い間待たせて不信感を買ったのであるが、無事改札を出た瞬間は勝利をもぎ取ったと勘違いしていたわたわた。皆と無事に合流して彼らの表情を見てようやく悟った…。俺は「敗北者=白い負け犬=Eランク」だと…。

これにて学生票の魔法は玉砕…。そして2000年の大すられ事件にてプライドを完全に傷つけられ、わたわたの中国旅行人生は崩壊への一途をたどるのであった…。

孫子の兵法で一攫千金!?〜マカオカジノ編〜

新型インフルエンザの嵐が吹き荒れ始めた09年夏。長期休みは大抵中国大陸へ旅行に出かけるが、今年はインフルを避けておとなしく国内で待機…。と思いきや、国内外関わらずインフル感染が広がっているではないか。これを受け7月上旬にわたわた家で緊急会議が開かれた。

麗麗:“いつも中国、中国で正直飽きたわ。今年こそは二人でタイよ!”
わたわた:“ならぬ!今回も大陸だ!目指すは悠久の都・洛陽ぞ!!今回は長年温めた特別遺跡捜索プランを発動する!司馬懿が我々を待っているぞ!大いに楽しもうぞ!!哈哈哈哈!!”
麗:“じゃ、私行〜かない。あなた一人で行ってきて。”
わ:“えっ?仲達が待っているのに、本当に行かないの??”
麗:“行かない。じゃ、今回も別行動ね。”

う〜む、これは予想外の回答だ。まさか、完璧に練り上げた洛陽・司馬懿プランが完全に拒否されるとは…。まぁ、お楽しみの洛陽は後にとっておくか。三劉としてサル甘寧と行くのもいいだろう。結局、今回は久しぶりに二人でタイに行くことになった。が、条件として香港(マカオ)経由を提案。

洛陽から香港・マカオへ目的地変更。遺跡捜索からマカオカジノでの勝負に目的変更!!わたわた=遺跡アタッカーであり、他には目もくれず遺跡に向かってダッシュ突撃をする。サル甘寧とは違って日本ではギャンブルなど一切やらず、遺跡だけの為に日々鍛錬する日々。そんな遺跡バカのわたわたがギャンブルのみを目的にマカオにいっていいのか?答えは“否”である!!!わたわたにとってカジノはギャンブルではない!!君は「孫子の兵法」を知っているだろうか?中国戦国時代・斉の誇り孫臏は兵法を競馬に用いて大金を田忌将軍に儲けさせた。ギャンブルはリターンもあるが、リスクを伴うから“ギャンブル”なのである。要は確実に勝つと分かっていればギャンブルではないのである。

そうと決まれば毎日カジノの研究だ。遺跡アタッカーがカジノの攻略法に没頭していいのだろうか?答えは“是”である!!!百獣の王ライオンでも一匹の兎を狩るのにも全力を尽くすのである。例えが違うような気もするが、要は何事も全力を尽くすのが遺跡アタッカーの務めなのだ。

連日の研究の結果、戦場・軍資金等は下記の通り決定した。

・軍資金:6,400HK$(約80,000円)
・目標額:1,000HK$(約12,000円)
・舞台となるカジノ:グランドリスボア
・選択するゲーム:大小(3つのサイコロを振って4〜10=小か11〜17=大か等を当てるゲーム。(数字、奇数・偶数、合計を当てる等いろいろなルールがある。マカオカジノを代表するゲーム。)

普段ギャンブルをしないわたわたにとって、軍資金の80,000円はあまりにも高額だ。普通なら100%麗麗から反対される金額だが、“これはギャンブルではない!孫子の兵法を利用した投資なのだ!”と主張し説得成功。目標額の1,000HK$は元金6,4000HK$から見ればかなり少額だ。当初は3,000HK$を目標にしていたが、確実に勝てるラインをわたわた的スパコンで計算し1,000HK$に設定。

いろいろと決めてしまえばあとは実行にうつすのみ。“事態は見えてきた。あとは簡単だ。”(by パプティマス・シロッコ)

夏休みに入りタイで1週間休暇を満喫した後、いよいよ勝負の日がやってきた。20:00に香港空港に到着し、香港市街へ。マカオ行きフェリーターミナルから割と近いISLAND PACIFIC HOTELに宿泊する。かなり快適なホテルなのだが、なかなか寝付けない。まるで初陣を控える武将のような心境(?)だ。孫子の兵法は完璧なはずだ。でも実際に試したことはない。本当に通用するか?果たしてわたわたは一人前の兵法家になることができるのであろうか?

当初の予定では重慶マンション(九龍)で両替をしてからマカオに渡ろうと考えていたが、50,000円分をバンコクで両替済。(重慶マンション内の両替商と遜色がないレート。)これで朝から出動ができ、かなり時間を節約することができた。

マカオに到着後、先回かなりの足どめを食らったイミグレも20分程で通過。すぐにグランドリスボアの無料シャトルバスに乗り込む。遂にやってきました!マカオのランドマーク、グランドリスボア。外観がド派手でかなりインパクトがあるので、前回(09年5月)から行ってみたかったのだ。しかしいざ入場してみると外観に比べて抑え気味のカジノだ。いや、これも他のカジノと比べればかなりすごいはずだが、前回行った世界最大規模を誇るヴェネチアンの印象があまりにも強烈だった為、そう感じるのだろう。

とにかく大小の台を下の階から順に見ていく。上の階にミニマムレート50HK$の台があるとのことで、まずはここで勝負を開始!わたわた的孫子の兵法により、1〜6の数字に賭ける(3つのサイコロの内1つでも当たれば2倍の配当)つもりだったのだが、過去10回くらいの出目が表示されているボードを見ながらシミュレートしてみる。結果は…、キャプテン翼的に言うと「森崎君、一歩も動けず〜!ここで試合終了のホイッスルだぁ〜!」わたわた的孫子の兵法では数回賭けただけで軍資金が尽きることが判明。

というわけで、すかさずプランB、つまりは大小のみに賭ける(配当2倍)ことにしてゲームスタート!!1回目、あっさり外れる。まぁ、想定内。次に賭ける前に、ディーラーに500HK$チップを100HK$×5枚に替えてもらおうとすると…、ディーラーに激怒された!!え?何で?と戸惑っていると、他の客が“前の回の結果が表示されたランプが消えるまで台にチップを置いてはいけないのよ!”と教えてくれた。いや〜、はっきり言ってわたわたはかなり焦っていることは否めない…。ここでディーラーを怒らせて目をつけられると常識的に考えて勝てない。「彼を知り、己を知れば、百戦あやうからず!!」だ。この状況を利用してわたわた的孫子の兵法で勝ちを呼び込んでみせようぞ。

2回目、いきなりゾロ目…。大小に賭けているわたわたは強制的に負け。3回目でようやく1勝。4回目以降も3〜4回に1回しか勝てない。う〜む、正直運が悪すぎる。いや、これはやはりディーラーに目をつけられているからか?と思い、下の階へ移動することに。ミニマムレート100HK$の台に移動してみた。ここで2回連続勝利。しかし、連続勝利はこの日初にして最後になるのである。その後も勝利ペースは変わらないものの、わたわた的孫子の兵法の妙で、なんだかんだと500HK$のプラスになった。ここで麗麗から冷静な一言が。

麗:“もう十分よ。今日は運がないから500HK$の勝ちで帰りましょう!”
わ:“いや、目標は最低1,000HK$だ!このまま帰ると香港⇔マカオ往復のターボジェット代(2人分)も回収できないじゃないか!それに孫子の兵法で必ず勝つ!!哈哈哈哈!!”

というわけで、麗麗が他の台に気をとられている隙をついて、反対の台で勝負することに。しかしどの台も人が多すぎてチップを置くのにも一苦労だ。この回も小に賭けたかったのに、やむなく1回見送った。ちなみに結果は小…。気を取り直して賭ける。

オラ!負け。
オラオラ!負け。
オラオラオラァ〜!負け。
オラオラオラ〜ドラドラドリャ〜!気合いをこめるも負け。

確立論では約2回に1回は当たるはずなのに、なんと4回連続で敗北!この4回のみで1,500HK$の負けが計上された…。いや〜、麗麗の忠告を聞いておけばよかったと思うものの、時すでに遅し。これが本当に最後と麗麗に告げ、ほぼ全軍の1,600HK$を大に投入。神様、仏様〜!大が出ますように!!わたわたの脳裏では軍太鼓が鳴り響いている。(サル甘寧執筆のカジノ体験談から引用)

ドンドコドコドコ、ド〜ン!

ディーラーにより蓋が外され視界に3つのサイコロが入る…。焦りで瞬時に計算が出来ない。なんとなく大か?いや、大だろ!大であってくれい!!!数秒経った後、大にランプが灯った!わたわた、乾坤一擲の勝利〜!思わず“よっしゃ〜!”と叫んでいるわたわたがいた…。は?孫子の兵法はどこへいったのだ?気合い、神頼み、軍太鼓、乾坤一擲(サル甘寧執筆のカジノ体験談から引用)…、これってただのギャンブルじゃん?

最終結果+600HK$で麗麗との約束通りこれにて終了。なんとも中途半端な結果に終わったのであった。そして、わたわたは気づいてしまった、ギャンブルに兵法は通用しないと…。だが、“次は遺跡捜索で兵法を応用してやる!!”と気合いを入れなおすわたわたであった。(懲りない奴)

home

inserted by FC2 system