劉備の経歴と関連遺跡
年代 | 出来事 | 遺跡 |
161 | タク州にて出生。父・劉弘は幼いころに亡くなった。 | 劉備故里 |
175頃 | 劉徳然・公孫伯珪らとともに遊学し、盧植に師事する。公孫伯珪と親しくなり、義兄弟となる。(劉備は弟分) | |
184 | 黄巾の乱勃発。義兵をあげ、鄒靖に従って手柄を立てる。安喜の尉に任命される。 | |
演義:関羽・張飛と義兄弟となる。 | タク州三義廟 | |
督郵を鞭打って、官職を捨て逃亡。 | ||
何進が派遣した毋丘毅の募兵に同行。賊軍と遭遇するも打ち破り、下密の丞となる。→しばらくして官を去る。 | ||
高唐の尉となる。令に昇進するも、賊軍に打ち破られ逃亡。 | ||
演義:反董卓連合軍に参加し、虎牢関で呂布と一騎討ち。 | 虎牢関 三義廟 |
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別部司馬となり、田楷とともに対袁紹の前線を守る。(公孫伯珪配下) | ||
平原の相になる。(公孫伯珪配下) | ||
曹操が徐州に侵攻した際に援軍として徐州入り。 | ||
予州刺史となり、小沛に駐屯。(陶謙配下) | ||
陶謙死後、徐州を譲られる。 | ||
196 | 袁術と戦う。曹操から鎮東将軍に任じられる。 | |
呂布に下ヒを奪われ、妻子が捕虜になる。 | ||
袁術軍の紀霊に攻められるが、呂布の仲裁により和解。 | 呂布射戟台 | |
呂布と和睦し、妻子を返還される。 | ||
呂布に攻撃され、戦うが敗走、曹操に身を寄せる。 | ||
呂布配下の高順と戦うが敗北し、妻子を奪われる。 | ||
曹操に従って呂布を討伐。呂布を滅ぼし妻子を奪還。左将軍となる。 | ||
董承らとともに曹操暗殺を謀る。曹操と会食時に「天下の英雄は貴殿と私のみ」といわれ箸を落とす<煮酒論英雄>。 | ||
暗殺計画は未遂に終わり、董承は曹操に殺される。車冑を殺し徐州を乗っ取り、袁紹と連合し曹操と敵対。 | ||
曹操配下の劉岱・王忠と戦い、勝利。 | ||
200 | 曹操の侵攻を受け、劉備軍壊滅。妻子と関羽が捕虜になる。逃亡して袁紹の傘下に入る。 | |
汝南の劉辟と連携し、曹操軍の後方を攪乱。関羽が復帰。 | ||
劉表のもとへ身を寄せ、新野に駐屯する。 | ||
博望坡で、夏侯惇・于禁と戦い、伏兵で打ち破る。 | 博望坡古戦場 | |
演義:劉備を嫌う蔡瑁によって暗殺されかかり、名馬・的蘆に跨り逃亡。壇渓を飛び越える。 | 馬躍壇渓 | |
207 | 演義:三顧の礼で諸葛亮を軍師に迎える。 | 古隆中、南陽武侯祠 |
208 | 曹操が南征開始。劉表死後、継嗣の劉jが曹操に降伏。劉備は配下と民衆と共に逃亡するが、当陽で追いつかれる。趙雲・張飛らの奮戦で逃げ切って江夏の劉キのもとへ身を寄せる。 | 長阪坡古戦場、張飛横矛処 |
諸葛亮を派遣し、孫権と同盟。曹操軍を孫権と連合して赤壁で打ち破り、軍船を燃やす。 | ||
長沙・武陵・桂陽・零陵を攻略し、支配下に置く。 | ||
孫権の妹と結婚。 | 甘露寺、試剣石 | |
孫権に共同での蜀征伐を持ちかけられるが、断る。 | ||
211 | 張松・法正らの手引きで入蜀。劉璋みずから迎え出て会見。 | 富楽山 |
212 | 張松の謀略が露見し、張松は処刑される。劉璋との関係が悪化し、劉備は劉璋軍を攻撃する。 | |
213 | 劉璋は李厳を綿竹に派遣するが、李厳は軍勢を率いて劉備に降伏した。 | |
214 | 雒城を落とし成都を包囲する。劉璋が降伏し蜀を平定する。 | 雒城 |
215 | 孫権が荊州返還を申し入れるが、涼州を手に入れたら返還すると回答。怒った孫権が呂蒙を派遣し長沙・桂陽・零陵を奪う。劉備も援軍として出陣するが呉と和解し荊州の一部を割譲する。 | |
218 | 漢中へ軍を出し陽平関に駐屯して、夏侯淵とにらみあう。 | |
219 | 定軍山にて夏侯淵を討ち取る。曹操本体が漢中へ到着し、劉備の要塞を攻撃する。数ヶ月にわたって対峙するが曹操は勝利を得られず撤退する。これによって漢中を支配下に加える。 | 定軍山、天蕩山 |
漢中王となる。 | 漢中王設壇処 | |
220 | 曹丕が皇帝となり、漢王朝が滅亡する。献帝が殺されるという偽情報が流れ、劉備は喪に服する。劉備を皇帝に押す声がわきあがる。 | |
221 | 皇帝即位。呉(荊州)へ出兵する。初戦で李異を破り、秭帰に駐屯する。 | |
222 | 軍をすすめ猇亭の駐営する。数ヵ月にわたりにらみあいを続けるが、陸遜の火刑にあい白帝城に撤退する。 | 猇亭 |
223 | 白帝城にて死す。 | 白帝城、永安宮 |
棺が成都に戻り、恵陵に埋葬される。 | 恵陵 |