三国遺跡を探せ!(三劉版)



このコーナーでは、今までの遺跡捜索経験・体験を基に、三劉版の三国遺跡捜索方法について紹介します。

○用語解説(注:あくまでも三劉でしか通用しない言葉もあります。)

飛机 飛机/飛行機のこと。大陸はとてつもなく広い為、時と場合によっては飛行機にももちろん乗る。特に社会人にとっては、「金より時間」が大切。しかし多用しすぎるとやはり痛い。最近ではディスカウントチケットや学割チケットも出まわるようになった。


火車 火車/いわゆる電車のことだが、動力が電気ではないので、汽車といった方がいいだろう。国産車両の他にルーマニア製の車両もあり、昔ながらの機関車が現役で動いている地域もある。加速力と制動力が日本の電車に比べ格段に劣り、走行距離が半端ないことから、目的地までは予想より遥かに時間がかかる。それに加え途中站から乗るとほとんど座れないし、通路はごみだらけ、トイレは汚い…と挙げ出すときりがない。それでも中国火車の旅に魅力を感じる人が多いのは、多くの出会いがあるからだろう。
席の種類は豪華寝台の軟臥、普通寝台の硬臥、豪華席の軟座、普通席の硬座、そして最凶の無座。まぁ、日本の自由席と同じで席が空いていると座れるが、座れなかったときのリスクは日本の何十倍もある。火車のグレードはその他に空調がある無しでも区別される。最近では、電化された路線もあり、2008年北京オリンピックに向けてリニアモーターカーの建設も予定されている。 (上海では運行開始済)


汽車 汽車/こちらは車のこと。“公共汽車”は路線バス、“長途汽車”は長距離バスを指す。他の都市へ移動する時によく利用するのが長途汽車。火車に比べ、目的地までの時間が一定しないことが欠点。道が悪く乗り心地の悪い地域も多く(ゴルムド⇔ラサは最悪。高山病+寒気+所要約40時間+道の悪さ…)、特に雲南地方では転落死亡事故がよく起こる。唯一の救いは火車の無座の椅子に比べ座り心地が少しだけいいことか。


站 /駅のこと。火車も汽車も駅は全て“站”。


文革 文化大革命(文革)/御存知の通り中国の偉大なる領導人・毛沢東主席が行ったとても偉大とは言えない政策。伝統文化を敵とみなし、文化人らを攻撃したり、(街中を引き回し、自己批判をさせた。)下放(国の基礎は農民と考え、皆農作業をする為に郊外に送り込まれた。)政策等ををすすめた。約10年間続いたことから“十年動乱”とも言う。遺跡巡りをしている者にとって最大の敵こそ、この文化大革命なのだ!その攻撃力は軽くボリタク、ボリ夫らを上回る。文革の被害を受けるとひとたまりもない。消滅した遺跡もあるし、残っていても廃墟と化している。黄忠墓廟、ケ艾廟、子龍墓廟は未だに修復されていない。


ボリタク ボリタク/オート三輪、バイタク、人力車の総称を“ボリタク”という。三劉データによると大都市で40%、観光地では80%の高確率できゃつらはぼってくるのだ!ボリタクの魔の手から逃れる為には、唯一“ダッシュ逃亡の計”しかないとわたわたは考える。事前の交渉を無視して法外な金額を請求されたら、払う義務などもちろんない。が、しかし体力・脚力に自信がない人はやらない方がいい。捕まったら最悪の事態も考えられるから。(ちなみにわたわたが見事に“ダッシュ逃亡の計”を決めた体験談を「Chipo‘s World」に載せてもらってます。<マニアック三国志旅行編参照>)余程の自信がある人は強引に相手を説き伏せるか、金を払うにしても決して相手の法外な要求全額を払ってはいけない。
きゃつらは余計図に乗るだけなのだ。私は中国と中国人が大好きだが、この手のボリタク、ボリ夫の類は大っ嫌いだ。そう!「わしが、ボリタク撲滅委員会・会長のわたわたであ〜る!!」(サル甘寧は名誉会長。たぶんあいつの方がこういう輩を憎んでいる。)


ボリ夫/ぼったくりを稼業としている人民。ノーコメント。(っていうか、上でコメントしてるけど。)

人民/中国人のこと。旅をしているとボリ夫のような奴がいる反面、本当にいい人民もたくさんいる。“赤の他人の為になんでこんなによくしてくれるんだ?”って本当に涙が出そうになることもしばしば。ボリ夫も良き人民も日本にはあまりいないなぁ。

じっちゃん人民/御年を召された男性人民のこと。遺跡巡りをする者にとっては非常に心強い味方。じっちゃん人民の中には、文革で破壊され、今はなき遺跡情報を知っている人がいる。もちろん現存する遺跡ならまず知っているはずだ。欠点は文字が読めない人がいることと、発音が聞き取れないこと。文字が読めて、流麗な発音で話すじっちゃん人民はまさに国士無双、天下無敵、鬼に金棒といったところ。逆に若い女の子は興味がないのか知らないことが多い。

ダッシュ逃亡の計/ボリ対策に最も効果的なのがこの方法。ボリ夫どもに法外な値段をふっかけられた場合、その時点で交渉は決裂したと考えた方がいい。いちいち相手にしていたらきりがないのだから。ただ、脚力・体力不足や、逃げ道の確保ができていない場合はやめた方がいい。きゃつらは金の亡者であるため、金をばらまきながら逃げるのも効果的。(絵としては最低な行動だが…)

無座恐怖症/三国遺跡の旅はマイナー都市を渡り歩くことから、火車に乗る時、いい席をゲットできる可能性が低い。まして田舎町からの硬臥なぞは言語道断だ。(まぁ、空きがあったら車掌と交渉してゲットできる“補票”という裏技もあるが。)
三劉の旅人は、世間一般でいう“バックパッカー“のような旅には向いていないので、無座を心の底から恐れている。自分の買った火車票(切符)に席番号がなかったら…、まさに“お前はもう死んでいる!”なのだ。

楽山病/体験談コーナーで紹介している通り、わたわたは成都⇒楽山行きバスに乗っている時、トイレに耐えきれず遂に途中下車した。それ以降バスに乗る度に同じ症状に見舞われ、一種の病気のようになってしまった。一番苦労したのが、ラサ⇔ゴルムドのバス。ひどい時には10時間もぶっ通しで走りやがった…。“病人”の私には非常に辛い。真夏なのに、雪降ってさらに“病気”は加速。無座恐怖症+楽山病の私には長距離移動はマジで辛い…。

星級ホテル/中国のホテルは国家規定を基にグレード分けされ、5つ星(最高級)から1つ星までのランクがある。(例外で超級の6つ星なんてのもある)私にとって2つ星以上は快適だが、最近は旅の終わりには必ず4つか5つ星に泊まっている。そう、超級三国遺跡(甘寧墓、ケ艾墓など)に到達した“自分を誉めてあげたい”一瞬なのだ。

人民級ホテル/星級ホテルにはなれないしょぼホテルと思いきや、結構豪華でも星がない場合もある。しかしここでいう人民級とはまさにしょぼホテルのこと。値段の目安は一人50元以下。そして本来、外国人は宿泊不可。でも田舎町の人民級ホテルには、外国人なんか泊まりに来たことがないわけで、法律も行き届いていないこともあり、逆にパスポート無しでも泊まれることが多い。ちなみにしょぼ人民級ホテルしかないと思われる三国遺跡関連の街は陽新(甘寧墓)と洪湖(赤壁対岸)。撤退時間を外すと痛い目に遭うことは必至。

三国遺跡三大聖地/すなわち成都武侯祠・三国赤壁(武の赤壁)、五丈原の3つ。三劉が勝手に認定したわけであって、異議は掲示板で言って下さい。歴史的背景、観光地としての知名度、御土産屋の充実具合を考慮した。他に候補にあがりそうなのは白帝城か。勉県武侯祠、襄樊古隆中などが後に続き、三大関帝廟はもはや三国遺跡の枠を超えているのではないだろうか。



1.情報収集(事前準備編)

其の壱:遺跡情報収集(まずはどのような三国志関連遺跡があるかを把握せねば!)

@三国遺跡紹介本
一気に多数の情報をゲットしたいなら、三国遺跡紹介本を参考にするのが一番。『中国三国志巡りの本(近畿日本ツーリスト)』や、これと似た構成でマニアック度がUPした学研の上下巻本は、カラー写真掲載で非常に見やすい。わたわたが、旅行中常に持ち歩くのは『三国演義辞典(巴蜀書社)』の遺跡紹介欄。(成都武侯祠に残っていた最後の一冊をサル甘寧がゲット。わたわたも上海南京路・新華書店にて購入。)中国語だけど、さすが本場もの。大抵の遺跡情報を網羅している。三劉が最も評価している三国遺跡本だ。

A現地市内地図
現地で購入出来る市内地図にも情報が満載。行かなければ決して買うことが出来ないが、(北京・上海の新華書店では売ってる都市もあるけど。)新たな情報をゲット出来る確立が高い。(南京『諸葛飲馬処』、富陽『孫権後裔聚居地』、天水『姜維故里』等は地図情報を得て捜索に向かった。)表面の市街地図と裏面の郊外地図の両方をくまなくチェックしよう!

B現地博物館
現地の博物館や超有名三国遺跡も情報を提供してくれる。許昌博物館では『馬騰墓』、『華佗墓』等の大まかな位置関係を掲載しているし、九江煙水亭にも『程普墓』、『柴桑城遺址』の情報がある。三国遺跡の三大聖地の一つ成都武侯祠では四川省にある遺跡の写真を見ることができる。

Cインターネット
(日本語) 今の時代、実はこの方法が一番手っ取り早いのかもしれない。情報の量・質・マニアックさで目を見張るのが、ROVERさんの【三国志歴史紀行】とKENさんの「sangoku-hysteria」の2つ。ROVERさんは三国遺跡捜索の世界(?)では先駆け的存在。KENさんの情報は三国志のみにとどまらず、春秋戦国時代の陵墓なども紹介している。

Dインターネット
(中国語) 中国語を勉強している人にお勧めなのが、中国のHP。中国語のHPにはかなりマニアックな情報がゴロゴロしているから。中国語のMS−IME(マイクロソフト等のHPでダウンロード可)が使えれば、中国雅虎「YAHOO」から検索がかけられる。(ピンインだけの検索よりも、より正確に目的のHPにヒットする。)ここでのポイントは武将名に加えて“墓”、“廟”、“遺址”、“三国”、“旅遊”等の言葉を打ち込むこと。
三国遺跡の旅では事前の情報収集が非常に重要となる。有名ではなく、規模も小さく、外国ともなれば、すんなり辿りつけるわけがない。ド田舎に遺跡がある場合や、一日に複数の遺跡を周る場合、情報に正確さを欠き、量が不足していると辿りつけないこともある。マイナーな遺跡になればなるほどその重要度は高くなり、十分な情報がないのに突撃するとただの田舎巡りになることもある。

基本的には自分の気に入った@の遺跡紹介本を核として、A〜Cの方法で補足していくのがいいのでは。これら膨大な情報を基に、自分の体験もおりこみ整理したのが、ROVERさんやNUNOさんのページというわけ。 三国時代の歴史的背景や現代中国の地理情報を知っていると、一つ一つの情報が結びつき、それだけでも楽しいし、更に違う情報をゲットするきっかけにもなる。


其の弐:中国交通情報収集(地図、時刻表)(三国遺跡の旅は広大な中国大陸が舞台。日本の様にインフラが整備されていないこの国では、すんなり目的地にたどり着ける保証がない。まぁ、三国遺跡の旅に限らず、交通機関を把握することは必要不可欠。)

@最新実用中国地図冊
(中国地図出版社) これはどこの本屋にも売ってる中国全土の地図。全省の地図(鉄道、公路、県レベルまでの街、以外とマイナーな遺跡等の情報を記載)とメジャー都市(マイナーなものもあり)の市内地図が載っている。“この一冊さえあれば中国どこに行っても不自由しない!”というのはちょっと言い過ぎか…。

A現地市内地図
それなりに大きな都市であれば必ずあるので、到着と共に買うべし。その都市にいる間は、ずっと携行することになるはず。細い道の名前も大抵書いてあるので、実際に歩いている道の標識と照らし合わせながら進むと、迷うことはない。(よく迷うわたわたは方向音痴か?)標識には東西南北も書いてあるが、コンパスを持っていると絶対に迷わない。(持っててもよく迷うわたわたは余程の方向音痴か?)

B全国鉄路旅客列車時刻表
中国大陸をかけまわる時に必ず乗るのが火車。大陸ではその火車の始発站が非常に重要となる。何故って、始発站以外から乗り込むと大抵の場合、座れないから。その“座れない”が日本のように長くて1時間程度ならいいが、一站行くまで5時間以上かかる列車もある。時刻表は単に火車の発車時間等を調べるほかに、いかに無座を避けるか、つまり無座対策に役立つ。日本の時刻表に比べ見にくいが、最新版は通過站・通過路線検索が可能となり、かなりましになった。“この一冊さえあれば中国の火車は怖くない!”(でも無座恐怖症のわたわた…)

C省実用地図冊
これはかなり入手困難な地図。基本的にはその省にしか売っていない。よく見かけるのは火車站や長途汽車站の売店。この地図は郷や鎮のレベルまで網羅しており、チャリで捜索する時など特に威力を発揮してくれるだろう。


其の参:ルート設定

情報を一通り収集した上で、とりあえず捜索ルートを決めてみよう。まぁ、ここで決めても、半分も達成できない場合があるけど…。

大抵の場合、大都市までは火車で移動し、最後の詰めで田舎に向かう時には汽車を利用するケースが圧倒的に多い。まずは、目的の遺跡がある省の大きな街まで移動しよう。できれば省都がいい。そこを基点とし、なるべく日帰りで戻れるようなプランをたてるか、時間がない場合、全ての荷物を持ってでも次の大きな街に移動したい。コースの選び方としては、汽車に乗る時には、余程遠回りにならない限り省をまたぐ回数を極力減らすことが大切。何故なら省をまたぐ路線は極端に便数が減るからである。汽車移動の場合、朝6時出動、夕方6時撤退が一つの目安。まぁ、大都市や沿岸の都市では、もっと遅くまで汽車があったりするけど。内陸は特に要注意!赤壁対岸は3時で汽車が全て終了してた…。

遺跡がある街に辿り着いて時間がある場合は、徒歩で聞き込みしながら遺跡を捜索。聞き込みのポイントはじっちゃん人民(用語解説の欄参照)がいる集団に聞くこと。集団に聞けば、誰かが知ってる可能性が高いし、例えじっちゃんが文字を読めなくても、他の人民が通訳してくれるから。 時間がない場合、もしくはどうしても見つからない場合は、ある程度の損害を覚悟した上で、ボリタクを使用する。彼らは人間性はともかく、職業柄地元を知り尽くしてるから。

所要時間目安
火車乗車時間:時刻表で確認。
火車副作用時間:夜行硬座で移動する場合、到着後の半日は動けないと見た方が無難。
汽車乗車時間:高速道路以外を通る場合は時速30〜40kmで計算。
汽車待機時間:中国の汽車は基本的に満員になってから出発する為、+30分〜1時間はみておきたい。
遺跡捜索時間:これは計測不能。真夏に徒歩で捜索する場合はより時間がかかるだろう。
トラブル対応時間:これまた計測不能。決して中華人民共和国をなめてはいけない。旅の途中で何が起こるかわからないのが中国。バスがぶっ壊れるのはよくある話で、人民同士の喧嘩や、その喧嘩に巻き込まれたり、ぼったくりに遭うこともしばしば。一旅一騒動は覚悟!



2.目指せ!三国遺跡!!(いざ出陣!編)

其の壱:基地をつくれ!
ルート設定の欄で書いたように、まずは目的の遺跡がある省の大きな街に移動しよう。なるべくなら省都がいいが、(その省に入る時も出る時も交通の便が良い。)目的遺跡まで距離があり、移動だけで半日以上を要する場合は、近くの“市”もしくは“県”クラスの街まで移動しよう。“鎮”“郷”“村”は基本的に宿がない。基地となる街に到達した後は、火車站もしくは汽車站の側に宿をとる。繁華街にわざわざ行く必要はないだろう。そして次の街までの交通機関をチェックして、票(切符)を買うのもお忘れなく。


其の二:突撃開始!
(それでは、実際に訪れたことのある遺跡を例に、到達難易度別に三国遺跡までの道を歩いてみよう!)


@難易度A遺跡(大都市の市街地にあり、有名な観光地になっている。)

事例1:成都武侯祠(四川省成都市)
『地球の歩き方』をはじめ、ほとんどのガイドブックに載っている最も有名な三国遺跡の一つ。わたわた&サル甘寧は三国遺跡に行く為に、蜀の都成都・四川連合大学に1997年2月短期留学を決行した。到着の翌日に勇んで観光。市の南東の九眼橋にある大学から武侯祠までは公共汽車と徒歩で到着。市内地図にももちろん載っており、迷うことはまずない。

2000年3月の卒業旅行時に2度目の訪問。この時は有名な成都交通飯店から徒歩で武侯祠へ。市の中心から徒歩でも可能な距離にある。
基地:四川連合大学/交通飯店(成都)(※交通飯店の方が明らかに近い)
対策事項:成都市内まで無事に行くこと

事例2:逍遥津(安徽省合肥市)
2000年3月(卒業旅行)に訪問。合肥市内では有名な公園だが、かつてより三国遺跡としての色が薄れた(サル甘寧談/サルは98年8月にも訪れたことがある。)とのこと。それでも人民の憩いの場であるわけで、市の中心からも近い。火車站・長途汽車站からでも徒歩で可(それぞれ約30分・15分)。
基地:防腐工程総公司招待所(火車站前)/お薦めは合肥ホリデイ・イン(徒歩約5分)
対策事項:省都の割に普通の観光地が少なく、普通の観光とセットというわけにはいかない。

事例3:曹操運兵道(安徽省亳州市)
2000年3月(卒業旅行)に訪問。亳州の市街地(中心)にあるので、絶対に迷わない。市内地図も火車站に売っている。亳州 市内には他に三国遺跡が数多くあるが、火車站を起点として徐々に北に向かうといいだろう。
基地:慈善大酒店(火車站前)
対策事項:亳州 に行くまでは特に問題ないが、ここから火車で別の街に移動する場合は無座を覚悟されたし。


A難易度B遺跡(市の中心から外れてる為、到達するまで多少の苦労がある、もしくは見つけにくい所にある為、多少の聞き込みが必要な遺跡)

事例4:関林(河南省洛陽市)
1997年3月、成都四川連合大学の短期留学終了後に訪れた。関林は三大関帝廟の一つにして、洛陽では有名な観光地なので、楽勝!と思いきや、郊外にあるのが難点。それでもこれまた有名な「龍門石窟」と同じ方面にあるので、「関林」行き汽車の便はかなり良い。関林火車站もある。(但し本数は極端に少ない。)
基地:洛陽大厦(火車站前)
対策事項:「関林」汽車站下車後関林路を突き当りまで歩くこと。入り口が少し奥まった所にあるので注意。(現在<04年5月>は前の広場がきれいに整備されたので絶対に迷わない。)

事例5:魯粛墓遺址(江蘇省鎮江市)
2000年8月、2度目の鎮江でようやく到達。鎮江では北固山にある魯粛墓の方が有名で、1997年3月に行った時はまともに探しもせず遺址の方は未到達であった。市内地図に載っており、長途汽車站から歩いていける距離にあるが、中学校の中にある為に知らないと苦労する。中国では学校の中に遺跡があるケースが多く、見つからない場合、近くに学校・病院があれば入ってみよう。
基地:南京、蘇州、無錫等から日帰り可能。
対策事項:遺跡が学校の中にあるケースに要注意。知らない場合は聞き込みしかない。
※軍事施設は入らない方が良い。
※学校内にある遺跡:魯粛墓遺址、子龍墓、彰順王廟(ケ艾廟)、永安宮、李広墓(天水・前漢の武将。弓の名手で飛将軍と呼ばれた)、マテオリッチ墓(北京・明の万暦年間の宣教師)

事例6:呂布射戟台(江蘇省徐州市沛県)
2001年5月(目指せ!荀ケ墓旅行)に到達。徐州の北、沛県にある。この街は徐州から汽車で約1時間と結構便利で、漢の高祖劉邦の故郷として有名だ。事前の情報収集によって、「沛県文化館」内にあることはわかっており、現地で市内地図もゲットできたので、迷うことなくたどり着けた。ただ、地図がなかったり、ピンポイントの情報がなければ、一気に難易度は上昇するケースだ。
基地:徐州(火車站前の徐州飯店☆☆)より日帰り
対策事項:学校内にあるケースと似ていることを把握。


B難易度C遺跡(それなりに有名で、所在置は明確になっているものの、郊外や田舎にあり、情報収集・気合・退路の確保=早起き・早出動が必要となる)

事例7:ホウ統墓(四川省徳陽市羅江鎮)
1997年2月、成都短期留学の週末を利用して到達。三国志専門の旅行書、サイト等には必ず載るくらいメジャーになった遺跡で、実際知っている人もかなりいるはず。但、私にとってはかなり難易度が高い遺跡であった。
当時の私は中国語もそれほどしゃべれず、しかも場所が方言天国四川とあって普通の旅行もすんなりいかないほど。三国遺跡の情報収集の仕方もよく知らず、詳細な地図も持っていなかった。成都の北、コ陽にあるという情報のみが頼り。コ陽で拾ったタクシーの運ちゃんが場所を知っており、なんとか到達できた。
羅江という田舎の山の上にある為、捜索は午後4時くらいまでにした方が無難だ。我々は日が暮れてから成都行きの汽車に何とか乗れたが、退路の確保は慎重に!
基地:成都四川連合大学
対策事項:郊外にある遺跡はどこの鎮や郷にあるかを把握すること、そして退路の確保も考慮したい。四川にある場合言葉が通じなくなるので、中国語が出来る人のアドバンテージは限りなくゼロになる。

事例8:落星石(江西省星子県)
2000年3月(卒業旅行)に到達。星子という街にたどり着ければ、必ずと言って良いほど眺めることが出来る遺跡。星子の湖岸にあることさえわかっていれば情報としては十分。ただ上陸できるかは話が別だ。
ハ陽湖に浮かぶこの落星石に上陸するには船をチャーターする必要がある。我々が行った時には運良く地元の漁船に乗ることが出来た。しかし、落星石のすぐ下までは船で行けないため、ぬかるみを泥にまみれながら数百メートル歩かなければならない。まぁ、三国志好きならこれくらい苦にならないかも。
基地:九江(九江大酒店)より日帰り
対策事項 :まず上陸しようという気になる程三国志遺跡好きかどうか。そして湖岸に船があるかどうかの運も必要だ。最後は泥にまみれる覚悟と気合か。

事例9:子龍祠(四川省大邑県)
2000年3月(卒業旅行)に到達。かなり有名な遺跡だからとあまく見ていたわけではないが、事前の情報収集をまったくと言っていいほどしなかった為、到達難易度がUPしたケース。
成都から汽車(バス)に乗り、大邑汽車站に到着後聞き込みを開始。方言に苦戦しながらもなんとか子龍廟にたどり着くも、学校の中にあった廟と墓は文革で破壊されていた。近くの公園に子龍祠があることを地元民に教えてもらい、ようやく目的地に到達。
大邑の街には子龍廟(地名)、子龍墓(学校内にある廃墟)、子龍祠があること、そしてその位置関係を把握しなければ苦戦も必至。地図があれば理解も早いが、市内地図は結局、最後の最後で子龍祠がある静恵山公園内でゲット。時すでに遅し…。
基地:交通飯店(成都)
対策事項:有名な遺跡だからといってあまくみずに情報収集をすすめたい。大邑の街にある遺跡の位置関係を把握すること。


C難易度D遺跡(最強の文化大革命の攻撃を食らい、遺跡は残っていても廃墟と化していたり、超ド級の田舎にある為、到達するのが困難。そして何よりも情報不足が頭を悩ませる遺跡。)

事例10:姜維故里(甘粛省天水市甘谷県)
1998年8月(一ヶ月の一人旅)に到達。個人的には最も思い入れの深い遺跡だ。当時、私はチベット・ウルムチを周った後、旅の最大の目的の一つでもあった前漢飛将軍「李広」の墓参りをする為に天水に立ち寄った。天水の汽車站で買った地図を眺めていると、なんと「姜維墓」の文字が飛び込んできた!今でもその時の胸の高鳴りは忘れられない。というわけで発作的に姜維墓を目指したわたわた。
もちろん、情報は一切なく、手がかりは地図上で甘谷から南東に伸びた一本の線だけ。慨して中国の地図は縮尺が滅茶苦茶なので何kmあるのかもわからない。
甘谷で降りひたすら南東に向かい歩く、歩く…。超田舎だったことが逆に幸いして、適当に歩いても確実に目的地に向かっていたようだ。遺跡は道から少しそれた所にあり、看板等も一切ないため、最後はひたすら聞き込みが必要。
基地:天水鉄路賓館(天水火車站前)
対策事項:とにかく田舎にあるため、早めに出動したい。甘谷の市街地からかなり距離があり、夏に行くなら水を持参すべし。途中の道にはほとんど売店がないからだ。甘谷南東の姜家庄にあることが重要な情報となる。

事例11:華佗墓(河南省許昌市蘇橋村)
1998年8月(マニアック三国志旅行)に到達。マニアック遺跡がわんさかある許昌ではかなり有名な遺跡。許昌市内郊外地図にも載っている。しかし捜索方法、気象条件、運によって、時にとてつもなく難易度がUPする。目的地位置がある程度わかっていることもあり、足には人民レンタチャリを選択。当初は、一気に馬騰墓も制覇する勢いであった。情報収集、気合ともに十分であった!がしかし、途中人民にけんかをふっかけられ公安登場…、追い討ちの豪雨によりチャリはぬかるみに沈み…、とどめに華佗墓の門が閉まってるときたもんだ。それでも高くそびえる門を乗り越え墓参り達成。誰がなんと言おうとも華佗墓は難しい!
基地:許粮賓館、華星賓館(共に許昌火車站前)
対策事項:郊外にある遺跡に徒歩もしくはチャリで向かう場合は道に注意。100%舗装されていないので、天候によっては前進不能になるケースもある。仮にタクシーを使うと、許昌っ子は皆知ってる為、何も苦労はないだろう。

事例12:甘寧墓(湖北省陽新県富池鎮)
2000年12月(目指せ!甘寧墓旅行)に到達。サル甘寧が長年夢にみてきた甘寧墓について、我々は常に情報収集をしていた。とある資料に甘寧廟会についての記載があったが、墓などの遺跡については情報なし。乏しい資料の不足部分は、サル甘寧の一方的な甘興覇への思い入れのみで補い、我々は遂に甘寧墓が湖北省陽新県富池鎮にあることをつきとめた(決めつけた)。後は進撃するのみであったが、出陣前夜まで、信憑性の低い「甘寧墓」より、有名で確実に行ける「文の赤壁」に目的地を変更するか協議。結局甘寧墓に向かい、途中のボロバス、でこぼこ道を乗り越え到達。
基地:藍天賓館(陽新)
対策事項:現地での捜索より事前の情報収集と見切り発進が到達へのカギとなるケース。富池“鎮”では誰もが知っている遺跡だが、陽新“県”では誰も知らない。

事例13:黄忠墓廟(四川省成都市菅門口郷黄忠村)
1997年2月(四川連合大学留学中)に捜索に向かうも失敗。成都市中心から市内バスで行ける距離にあり、市内地図にも載る範囲。住宅街に埋もれていても、さほど捜索に苦労するはずがないのだが…。最強&凶の文革の被害に遭い消滅していたのだ!2000年3月に再度捜索し、廃墟と化した黄忠廟に到達。
基地:四川連合大学、交通飯店(成都)
対策事項:文革によって破壊された遺跡は山ほどある。資料によっては“破壊された”旨が記載されているので要注意。ただ、“破壊された”と書いてあっても「黄忠廟」「ケ艾廟」「子龍廟」のように廃墟として残っているケース、もしくは稀に再建されている場合もある。


D難易度E遺跡(文革や都市開発等の理由によって跡形もないと思われる遺跡)

事例14:荀ケ墓(安徽省寿県)
2001年5月(目指せ!荀ケ墓旅行)にてチャレンジ。甘寧墓と違って、見切り発進して失敗したケース。私が手に入れた荀ケ墓に関する情報はたった一件のみ。後は現地の聞き込みでカバーするはずであったが、時間の関係で無念の打ち切り…。1937年の時点であったのは確実なのだが、その後、文革もしくは開発によって破壊されても全くおかしくない。だが私が失敗した遺跡の中でまだある可能性が最も高い遺跡。
基地:新亜飯店(合肥長途汽車站前)
対策事項:全く不明。だからこそまだあると信じている。

事例15:李厳故里(四川省梓潼県)
2001年8月(目指せ!ケ艾墓旅行)にてチャレンジ。李厳故里もしくは李厳墓についての情報は意外と多岐にわたる。近年に調査をしたという記述もあるし、実は現地での聞き込みも途中までは順調であった。しかし目的地(と思われる)に近づけば近づくほど情報はあやふやになり、やがて誰も知らないと言い出すではないか。我々は尚も自力で捜索を続けたが、李厳に対する情熱がそれほどでもなかったのか、結局は諦めた。
基地:信合大酒店(梓潼)
対策事項:墓は恐らく既にないだろう。情報には碑などがあるかについても記載がなく、故里についてもかなりあやしい。ただ、“ここがそうであった”という場所は今だに残っていると思われ、村人にも知っている人がいるはずだ。

事例16:徐州華佗廟(江蘇省徐州市)
最新実用中国地図冊にも載っているし、その他徐州華佗廟に関する情報は多岐に渡る。がしかし、市内中心付近にあるはずの華佗廟が最新の市内地図に載っていないのである。実際に捜索してみてわかったが、都市開発によって既に破壊されていた。三国遺跡の修復や復活が盛んに進む中、消滅していく遺跡も数多い。この華佗廟のように近年に破壊されるケースは、移築などによって遺跡を保護して欲しい。ある意味文革よりたちが悪い。
基地:徐州飯店(徐州站前)
対策事項:かつてこの地にあった華佗廟は確実に破壊された。今となっては別の地に復活してくれるのを望むのみだが、開発の進む徐州市内ではかなり難しいか…。恐らく市としては近くの病院の敷地内に華佗の像を建てたことで、一件落着と考えているのだろうが。

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