青島日記

2004.3.13 徐元直はいずこ?
今日はリベンジ編としてJiao南大珠山帽子峰の徐庶廟にチャレンジしてきました。前回は山の
北側から攻めてしまい、全く違う観光地をさまよい終わりましたが、セイントに同じ技は通用し
ません!

帽子山のすぐ近くまでは楽勝で到着。でもどれが帽子峰だかわからない!ジモティもほとんど
知らないし。一人だけ適当に答えた人がいたけど目が泳いでいたなぁ。というわけで、いかにも
帽子に似ている山にめぼしをつけ登山開始!

結果発表!登山不可!!少なくとも楊修墓捜索時に崖からすっころびそうになったこの革靴で
は絶対無理ということが判明。途中まで登ってみたものの、肝心の廟は山頂付近にあるらしく
やむなく撤退しました。

一度ならず二度も失敗して正直へこんでいます…。しばらくここには近づくことすらできそうにあ
りません…。どうやらブロンズセイントには同じ技でも何度も効くようです。


2004.3.12 残2
また残業。かと言って忙しいわけではなく、たまたまこの時間にやらなければならない仕事があ
っただけなのですが…。それにしても夜バスで帰るのは面倒ですね。(軟弱化)


2004.3.11 遠方より来たる
友ではありません。日本の上司が来ました。友人ではなくてもうれしいものです。駐在生活って
一体…。


2004.3.10 残
今日は珍しく残業。日本では考えられませんね。毎日超絶残業でしたから…。


2004.3.9 おなじみ
火曜はもち寿司三昧。これで何週連続でしょう?


2004.3.8 魚を食べると頭がよくなる?
というわけで、珍しく焼き魚定食なぞ食べてみました。あ、今日は国際婦女節。私には関係な
いか…。


2004.3.7 F1開幕
遂に待ちに待ったF1開幕です。1994年から毎戦欠かさずビデオに永久保存している私にとっ
て、中国赴任は一つの障害でした。でもこちらでも生中継しているし、タイマー録画できないと
は言えビデオデッキも確保して一安心です。やっと春が来た!

昼は電子信息城に行ってきました。目的はプリンタのインクカートリッジだったのですが、つい
ついVCDコーナーへ。そこで見つけましたZガンダム!早速帰って見てみるとZはZでもZZ!騙
したな!とよく見るとうっすらともう一つZの文字が…。ま、ZZも大好きなんで別にいいんですけ
ど。ジュドー・アーシタガンダムZZ行きま〜す!


2004.3.6 珈琲タイム
何だかんだ言って遠出はせず、先輩と一緒に五四広場に行ってきました。北京と言えば天安
門広場、青島と言えばもちろん五四広場というくらい有名な場所です。ちなみに私は青島赴任
になって初めて知りました。

帰りはまだまだ寒いこともあり近くのSPRという珈琲店でだべってました。久しぶりに日本風の
休日を過ごせました。


2004.3.5 雪
青島は東京・名古屋より寒いのですが、雪はあまり降りません。今日は久しぶりの雪。八王子
のように積もってみせろ!人民が皆すっころぶんだろうな。


2004.3.4 ぬく
3月効果か今日はちょっと暖かかったです。もう少しでTシャツ一枚で過ごせるでしょうか?ま
ぁ、無理ですな。


2004.3.3 ひな祭り
3月3日ってひな祭りでしたっけ?こちらで生活していると日本の何たら記念日がよくわからなく
なります。三連休も全くないし。


2004.3.2 またも
火曜寿司。火曜は他にないんかい?ないです。


2004.3.1 いよいよ…
やっと3月です。日本だと寒さも少しはマシになるのでしょうが、青島はまだまだ寒いです。そろ
そろ毎週毎回遠出したいのですが、寒さは苦手。春よ来い。


2004.2.29 自宅待機
臨沂往復10時間はさすがに疲れたので、今日は自宅待機。土曜と日曜の過ごし方に劇的な差
があるな…。


2004.2.28 五賢祠、再び
どうも、今日は朝7:30起床(本来は6:00の予定)で、臨沂に行ってきました。バスで片道5時間。
最近内蔵の調子がおかしく、結構辛い道のりでした。

今回の目的地は02年に行った諸葛故里などはパスして、書聖・王羲之の故里の境内にある五
賢祠です。先回恒台の五賢祠に行ってきましたが、明らかに臨沂の方が素晴らしい!五人祀
られている内の主役はもちろん諸葛亮。他の四人に比べ像も大きく、中心に据えられてまし
た。故里としての見応えも十分。お勧めの観光地です。ちなみにここの境内で最近晋代の墓が
発見されたようです。

あとは孫子の兵法書が発見された漢墓竹簡博物館。こっちも漢墓や竹簡が見応えありです。
竹簡は結構削れてしまっているものの、しっかり判読できる漢字が多いことに驚きでした。

済南やZi博と違って火車で青島まで帰れないんで、最終バスに間に合うか焦りました。臨沂方
面は火車がないので、撤退時間が限られているのが辛いです。と言うわけで、今回も例に漏れ
ず食事抜き、移動は全ダッシュ。帰りに人民広場で諸葛亮像を発見して、眺めているうちに時
間がたってしまい、時間をロスしましたが、いつもよりかは少しだけ早く帰って来れました。
臨沂五賢祠
臨沂五賢祠の主役はもちろん…


2004.2.27 おそ
こちらに来てから大抵19:00頃には帰れるのですが、今日はちょっと遅かったです。まぁ、明日
は休み(出撃)だし。たまにはね。


2004.2.26 机上旅行
先週は遠出を中止したので、今週末こそは出動せねば。木曜は机上旅行の日。いわば作戦
会議デーですな。


2004.2.25 ネム
寒いのに眠いと来たら仕事をする気にもなれません。早く春が来ないかな。


2004.2.24 寿司の日
火曜日は例の如く寿司の日です。青島寿司の日、なんてね。


2004.2.23 さむ
もうすぐ3月ですが、超寒いです。康有為墓に行くのにバスに乗ってもしょうがないよね?


2004.2.22 墓捜索in青島
青島は歴史の浅い街です。洋館はたくさんあってもいわゆる古建築とか墓、寺廟とは無縁?い
や、青島にもちゃんと立派なお墓があります。ずばり『康有為墓』。康有為は清代の有名な政
治家で“変法自強運動”で改革を目指した人物。青島市内で唯一の歴史名人のお墓となれば
行かねばなるまいと前々から思ってたわけで、今日実行しました。

当初の予定ではホテルから歩くつもりが、あまりにも寒すぎて断念。青島大学前付近でバスを
ゲット。弱い…。でも寒いんだもん。

お墓自体はなかなか素晴らしいつくりで、心なしか陽新の甘寧墓に似ていました。変なカップル
が邪魔で写真が撮りにくかったのですが、大満足。青島でも墓捜索はできるのです!


2004.2.21 遠出中止
今日は雨&風が強く遠出は中止。やっぱ遠出は春になってからバリバリやるしかないですな。
というわけで中山路付近を散歩して去年の暮れにオープンしたイトキンと信号山公園を見学。
信号山の回転展望台で一人ただずみました。悲しいこと限りなし…。


2004.2.20 霧の青島
今日の青島は霧で視界がほぼゼロ…。こりゃ霧のロンドンに匹敵しますな。


2004.2.19 週末は
毎週木曜にもなると週末どこに行こうかと考えはじめます。今週末は元気があって天気が良か
ったら臨沂にでも行こうかな。


2004.2.18 GZZ
日本にいた頃は、部屋にいる時間の実に8割はテレビ&DVDを稼動させているほどテレビデオ
っ子でありましたが、中国ではそうもいきません。最近はまっていたネット配信のガンダムZZも
見終わってしまった…。


2004.2.17 火曜は寿司の日
火曜ということでまた寿司を食らいました。日本ではほとんど食べないのに…。


2004.2.16 完全回復
風邪もやっと完全回復。平日に治ってどうすんだ?って感じですが…。


2004.2.15 回復
風邪もやっと回復に向かっているようです。来たばかりの先輩と一緒に街へ。と言ってもジャス
コ付近でDVDをあさった程度ですが…。


2004.2.14 情人節?
街はバレンタイン(情人節)で賑わっているらしいですが、私は風邪で待機中…。最近の中国
は日本よりお祭り好きかも。クリスマスといい、バレンタインといい…。ちなみに中国では女性
からチョコレートを送るのではなく、男性からバラ等のプレゼントを送ります。


2004.2.13 3連休開始!
中国に赴任してからはいわゆる普通の祝日がない為、3連休がなかなかとれません。が、今日
から3日間連休です。3日もあれば中原まで行って帰ってこれる。さぁて、どこにいこう!?っ
て、風邪でダウンしてしまったのです。久しぶりに眠れないほど熱が出てしまい撃沈。中学校の
時に強制入院させられて以来の病欠です。悔しい…。でも快感(?)


2004.2.12 風邪?
相変わらず体調不良。四川料理の影響ではなく、風邪でしょうか。夕方はあまりの不調っぷり
に定時退社しようと思いましたが、大和魂でなんとか乗り切りました。


2004.2.11 後遺症?
久しぶりの四川料理の影響か、内蔵の調子がおかしいです。本場四川に行って修行が必要で
すな。


2004.2.10 封印
ちょっと前までは日本料理屋ではよく鶏のから揚げを頼んでいたのですが、奇病の流行により
一時封印。いつまで封印するんでしょう。


2004.2.9 歓迎
私の部屋は元々二人部屋なのですが、出張ベースで先輩が赴任してきました。しばらくは同屋
として仲良くさせてもらおうと思います。


2004.2.8 あけまして
日本の新年・中国の春節明けということで、諸葛さんと青島三国志ミーティング。知ってはいま
したが諸葛さんが過去に行った三国遺跡の写真を改めて見せて頂き、感動&リスペクト。私も
三国志に対する思いをさらに熱いものにせねば。(只今、青島三国志ミーティング参加者募集
中!)

それにしても久しぶりの四川料理で胃の調子が…。まぁ、辛さ的にはそこそこだったんですが、
あまり食べる機会がないからでしょう。でもおいしかった!


2004.2.7 桓台五賢祠
というわけで、今日の目的地は桓台五賢祠です。名前からは判別しにくいですが五人の中に
は我らが諸葛亮も祀られており、いわば武侯祠なのです。

6時起床の計画が7時半になってしまったのがケチのつけ始め…。さらにZi博までを火車でな
く、バスに変更したのが痛かった…。火車発車まで1時間あったんで、バスに変更したんです
が、これが究極遅い!青島脱出まで1.5h〜2hもかけるな!客が集まらないんで、至る所で客
引き。自分の選択ミスを心から呪いました…。

結局、桓台に着いてからの徒歩区間約3kmは全力ダッシュ。五賢祠に着いたのが16:00ちょっ
と前でした。で、17:58Zi博発の火車で帰りたかったのですが、站着が17:50。さらに、切符売り
場は予想外の混雑。ここで、試合終了のホイッスル!というわけで、またも19:28発まで待たな
ければならなかったのでした…。結局帰宅はいつも通り深夜12:00…。
恒台五賢祠
諸葛亮像はイマイチだが廟は立派


2004.2.6 出撃前日
日本にいた頃は金曜の夜は2〜3時頃まで映画を見たりしてましたが、中国に来てからはなる
べく早く眠らなければなりません。土曜は出撃の日なので、前日の準備と早寝がキーポイント
です。あぁ、でも結局寝るのが2時頃なんだよな…。


2004.2.5 元宵節
今日は元宵節です。新年から数えて15日目。何でも前漢時代に呂后を始めとする呂氏の乱を
平定したのを記念したのが始まりらしいです。湯圓という団子の中にあんこが入ったものを食
べるのがならわしですが、私は食いそびれた…。実は冷蔵庫の中に冷凍の湯圓があるんです
が、面倒で調理しなかったんです…。


2004.2.4 至れり尽くせり?
私が住むファイブスターホテルはサービスが何もかも至れり尽くせりというわけにはいきません
…。最近はネット環境があまりよろしくないです。一応寛帯(ブロードバンド)対応のはずなの
に、スピードが極端に遅い…。これではネット配信のガンダムが見れんではないか!


2004.2.3 寿司三昧
日本ではあまり食べてなかった日本料理。さらに食べる機会がなかった寿司を青島に来てか
ら良く食べます。火曜は食べ放題の寿司の日。


2004.2.2 宴会ビール攻め
月曜から宴会ビール攻め。白酒でないのが救いですが…。まぁ、まだ新年気分バリバリです
な。


2004.1.31〜2.1 引きこもり
旅疲れを癒す為にひたすら引きこもりの計…。


2004.1.30 禽流感
と書いて鳥インフルエンザ。わたわた必殺の“鶏のから揚げ定食”はしばらく封印することに決
定。


2004.1.29 鳥
最近怪しげな病気が広まる中、鳥インフルエンザなるものが蔓延し始めたらしい。鶏肉が好き
な私にとっては吉牛の牛丼が食べられなくなるより痛い…。


2004.1.28 仕事始め
旅の疲れもあってか仕事に身が入らない。でもこの国全体が正月ムードに包まれているんで、
問題なし。あ!でも日本相手の仕事だと気合入れないと…。


2004.1.27 馬鹿?
春節旅行最終日。これまでなら最終日は日本に帰るだけなのだが、今回は青島行きの便まで
時間がある為、午前中は捜索ができる。

今日の目的地は西安南郊外にある漢献帝陵と秦の二世皇帝・胡亥のお墓。それにしてもここ
西安に献帝陵があるのは何故だろう?細かいことは気にせず地図に載っているこの陵墓を目
指すことにする。まずはバスで西安の南郊外まで移動。そこから徒歩でさらに南下。するとさす
が皇帝の陵墓だけあって、遠目からでも確認できる。ニセモノにしてもかなりの規模にうれしく
なり、陵墓の上まで登ってみることに。眺めもなかなか。

この勢いで二世皇帝墓も楽勝と思いきや、地図を頼りすぎて撃沈…。高速道路に隣接してい
る塚がそれかと思いきや、(これがまた紛らわしいのがいくつもある…。)全然違うではない
か!ある塚にはいかにもマニアックな動きを見せる二人組がいたんで、日本人かと思って思わ
ず駆け寄るとただの親子連れだった…。塚で遊ぶな!と思わず心の中で叫んだ一瞬であっ
た。

さて、迷いながらもなんとか二世皇帝墓に到着。イメージしていた墓とは全然違って塀あり、墓
碑あり、門票ありとかなり整備されている。管理人夫婦はご丁寧に解説してくれたし。“馬鹿”の
由来となった故事を解説する人形なども置かれており、マヌケ皇帝にしては扱いがかなりい
い。だったら、献帝陵に墓碑の一つでも建てて欲しいものだ。

撤退時間にも間に合い帰青。今回もどっぷり三国志につかった旅であった。
胡亥墓
馬鹿とはまさに胡亥のことか…


2004.1.26 8年ぶり3度目
陝西省は山西省に比べて暖かい。そして西安は活気があって、観光地もごろごろしてるんで、
自ずと士気が高くなる。旅も残すところ2日となったところで、わたわた遂に本気モードに突入
か?この勢いで、幻の陝西・ケ艾墓を目指そうかマジで悩んでみた。結論。寒いからヤメ。何
だそりゃ?って言われても野宿はご免なのだ。(誰も野宿しろとは言ってないのだが…。)

というわけで、目的地を蔡文姫墓に決定。彼女は三国時代の女流詩人(文化人)で、父(蔡ユ
ウ)の死後匈奴に捕らわれるが、後に曹操によって買い戻されたという。何とも劇的な人生を
歩んだ彼女だが、人気的には貂蝉や孫尚香に及ばないのは何故?やはり演義での知名度が
ものを言うんだろうな。

西安からバスで約1時間の藍田という街に、博物館を兼ねた蔡文姫墓がある。こじんまりとした
敷地だが、しっかりとした塚と墓碑があり、彼女の一生を紹介する展示室も必見。見終わった
後は蔡文姫のファンになってしまった、ミーハーなわたくし。

思ったよりあっさり蔡文姫墓を見学できたので、午後は中国人民は死ぬまでに必ず行くという
(うそ)兵馬俑へ向かう。兵馬俑は過去2度行ったことがあるのだが、始皇帝の最強軍団をもう
一度見たくなってしまったのだ。8年ぶり3度目の兵馬俑はわたわたを感動の嵐につつんでくれ
た!あの巨大体育館にならず兵俑は何度見ても圧巻。

夜は96年短期留学時代に、中華飯が食えず(当時は留学生寮の飯が口に合わず、かの西北
大学から歩いてほぼ毎日鐘楼のKFCに通っていたアホな私。しかも超絶混んでいるバスに恐
れをなして往復1時間歩いていた。)、弱っていた私を助けてくれた思い出のKFCへ行って見
た。近くの日本料理屋『安部』も健在だが、かの事件の後遺症が残っているらしく、看板の電気
は消えていた。鐘楼の下は地下道ができているし、店も随分増えたが、当時の面影も多少は
残っていた。
兵馬俑
8年ぶり3度目の感動!


2004.1.25 耐久レース
朝4:30に崋山站に着。今更ながらなんで、こんなチケットを買ってしまったのか?と後悔する。
站から街までは相当あるらしいが、暗闇の中を歩こうとするも人民に止められる。“賊に襲わ
れたらどないすんや!”とのこと。“そんなわけなかろうて。”と一度は人民を振り切り突き進もう
とするも、マジで真っ暗…。何も見えないではないか!仕方なく引き返し、“寒い!えぐい!疲
れた!!”と心の中で叫びながら、明るくなるまで待合室で待機。

7:00まで待って体力的に限界に達したところで、やむなくボリタクで玉泉院へ。ここには三国時
代の神医・華佗の墓碑がある。まだうす暗い中、華佗の墓碑を拝む。到達時刻7:30。恐らく私
が今まで行った中で、最も朝早く到達できた遺跡だろう。

玉泉院の華佗墓碑も良かったが、その後ろの崋山が姿を現すにつれて、圧倒されてしまうわ
たわた。“登りたい!”泰山の2時間半踏破に引き続き、この崋山も是非チャレンジしたみたい
という気になってきた。もともと真冬の山登りは気が向かないということで、今回はパスする予
定だったのだが。

とりあえず、もう一つの目的地楊修墓を目指すことに。ここで決心した内容は、名付けて≪ノー
聞き込み墓参り大作戦≫。要は人民の助けを借りずに、玉泉院から聞き込みなしで墓を探し
出すというもの。正直手持ち資料には村の名前と魏の長城の上にあることが記載されていた
ので、楽勝と踏んだのだ。ひたすら歩いて長城は結構楽に発見。到達もしていないのに、“この
勝負、わいがもろたぁ!”と確信するあたり、やはり詰めが甘いのだろうか…。長城というだけ
あって結構距離があり、捜索範囲もそれなりに広い。そして、高さもあるんで、落ちたらひとた
まりもない。全荷物を持ちながら捜索していた為、バランスを崩して落ちそうになるわたわた。
“させるか!”と踏ん張るも底がすり減りまくった靴ではどうしようもない。マジで落ちそうになっ
たよ。死ぬかと思ったよ…。

というわけで、それなりに苦労しながら、何とか楊修墓に到達。崋山をバックにした楊脩墓は美
しい。ここで、今日は崋山に登ることを決意する。早速、玉泉院に舞い戻るわたわた。荷物は
ここで預けて身軽になったところで、“イッチョやったるで!”とスタート。登り始め5分も経たない
ところで、自分の靴は完全に強敵崋山に歯が立たないことが判明。緩やかな傾斜でもすべりま
くるではないか。

五岳の中でも一番険しいといわれる崋山…。飯を食っていないせいか、あまり寝ていないせい
か、はたまた歩き疲れなのか…、途中で意識が飛びそうになる。これは明らかに泰山よりえぐ
い…。水分を補給しようとコーラーを買おうとするものの、明らかに色がおかしい。ボリタクあん
ちゃんが山の上の物はニセモノばかりと忠告してくれたが、崋山恐るべしである。あんな変なも
のを飲んだら、それこそ補給どころではなくなる。中原にはニセモノが氾濫しているが、邯鄲で
つかまされた偽スプライト、漢覇二王城付近で買った偽アイスによって逆に士気が下がったこ
とが何度もあった。今回はこの状態から無補給で踏破することを決意。

途中、鎖に捕まりながら急勾配を登ったり、ぼろぼろの靴で凍った路面に足をとられたりと、障
害を乗り越えて、何とか北峰に到達。崋山は五峰からなり、もっと上に登ることもできるのだ
が、体力の限界を感じたわたわたは、ここで下山を決意。本当はロープウェイで下りたいくらい
だが、それはプライドが許さない。これは、知ったかぶりする中国人と同じく、へんてこりんなプ
ライドなのだが、今更後戻りはできないのだ。

最後はぜいぜい言いながら何人もの人民に抜かされつつも何とか玉泉院まで辿り着いた。そ
こで預けていた荷物を受け取り、本日初の補給。ウエハス一気食い&コーラ一気飲みをして何
とか持ち直す。このわたわたの奇妙な行動を見たボリバイタクあんちゃんはあえて声をかけて
こないではないか。“勝った!ボリタク野郎に勝ったぞ!”と意味不明にも勝利を確信した瞬間
であった。

早速、西安に向かい、お決まりの解放飯店へ。とにかく長い一日であった…。
五岳一の険しさをほこる崋山


2004.1.24 さらば太原、さらば山西…
三劉二人での行動は昨日で終了。サルは日本へ帰国する為、朝北京に向かった。わたわた
はあまりの眠さに立ち去るサルを見送ることができない。まぁ、この場を借りて“ご苦労さん”と
言っておこう。

さて、今日の最大の目的は太原脱出。夜発の崋山行き(硬臥)まではかなり時間があるため、
まずは晋祠に向かう。ここは太原最大の観光地と言っても過言ではない。境内には様々な時
代に立てられた荘厳な建築が並ぶが、私が最も注目したのはやはり関帝廟。小さな廟が一つ
あるだけだが、中の壁画は一見の価値ありだ。

晋祠見学後は明日から始まる陝西シリーズに備え地図をゲットしに行く。文廟(博物館)を見学
して今日の観光は終了。ケンタでアイスを食べて休み、マックで夜飯のビッグマックを食らうと
いう意味不明な行動をしてみたが、これも山西省だからこそやってしまうことだろう。


2004.1.23 三劉の底力
今日はなんと朝飯ゲット。余裕しゃくしゃくで石家庄行きバス(53元)に乗り込む。目的地は陽泉
なんで、お決まりの途中下車。しかし高速の高架の上で降ろされ、車がびゅんびゅん走ってい
る中を下まで歩かなければならない。

訳がわからないところで降りたため、やむなくボリタクゲット。この際、関帝廟まで連れて行って
もらおうとしたら、この運ちゃんご丁寧に関帝廟までのアクセスを教えてくれた。とりあえずこの
面的でバス停まで連れて行ってもらい、後は1路→5路のバスでつなげば行けるらしい。途中関
羽の説明までしてくれて、この運ちゃんはなかなかの関羽マニアだ。

朝飯ゲットに加え、今日は昼飯もゲット。内モンゴル料理屋でビッグ羊肉串などを食らった。ま
ぁ、寒すぎたんでやむなく入ったにしてはかなりおいしかった。

そして捜索再開。5路のバスに乗り込み、切符売りのおばちゃんに関帝廟まで行きたいと伝え
ると…。“はぁ?”といった表情を浮かべているではないか。この街では関帝廟は有名なはずな
のに、この表情はなんなんだ?意味不明のまま終点付近で下車。聞くとここら辺には関帝廟は
ないらしい!で、引き返しがてら資料を見ると、どうやらここは劉備廟の近くらしい。早速ターゲ
ットを劉備廟に変更して聞き込み再開。すると、なんと劉備廟は手前の山の頂上にあるとのこ
と。なるほど小さく見える建物、あれが劉備廟のようだ。

ターゲットは見えているものの、山道の為、直線では行けない。歩き始めて1時間もすると寒さ
と疲れでまずサルがえぐり始めた。わたわたも寒さにやられていたものの、劉備に対する情熱
が小宇宙(コスモ)を燃やす!歩けば歩くほどメラメラと燃え、サルの“ペースを落としてくれ。”
や“撤退も考えねば。”の声がまるで耳に入らない。冷静に考えるとそろそろ撤退しないと、本
当に帰れなくなるかもしれない。そして後30分歩いて到達しない場合は撤退と決定する。ここ
で、俄然闘志を燃やすわたわた。絶対劉備廟を拝んでやる!と誓いばく進!!最後はうれしく
てダッシュしながら何とか到着した。

サルも少し遅れて到着。しかしここでサルが大爆発!後ろを振り返らずに突き進んだわたわた
に激怒したのだ!!昔は些細なことでけんかをしていた二人。社会人になってからはさすがに
殴りあいのけんかはしていなかったけど、久しぶりに険悪な雰囲気になりかける。しかしわたわ
たが自分の行動を素直に反省し、事なきを得た。ここでなぐりあいのけんかをしていたら崖か
ら落っこちて帰れなくなっていたかもしれない。

和解の後は強風・極寒の中、劉備廟で記念撮影。廟は扉が閉まっており中には入れないが、
かなり苦労したとあって到達できた喜びは大きい。山頂からの眺めも最高だ。三劉捜索史上、
五本の指に入るくらい苦労した遺跡だろう。

感動の後は急いで下山。早く下りないと本当に帰れなくなるかもしれない。ここで三劉の底力を
見せようと関帝廟にもアタックしようかと思ったものの、断念。帰りに火車站で買った地図を見
ると関帝廟へのアクセスは5路のバスではなく14路と判明…。なんじゃい、あの運ちゃんは…。
一見関羽マニアかと思いきや、ただのしったかぶり野郎だったとは。まぁ、悪意があったとは思
えないし、結果的に一番行きたかった劉備廟に行けたんだし、大成功としよう。
劉備廟
到達には体力と劉備への愛が必要!


2004.1.22 夢の関帝廟
今日の目的地は関羽一色。まずはキング・オブ関帝廟の解州関帝廟へ。ここは関羽・魂の関
帝廟と言われ、三大関帝廟の筆頭にあげられる程。今日は春節の元旦にあたることもあるの
か、人民がわんさかお参りに来ている。こんな有名観光地に来るのも久しぶり。やはり観光す
るなら、見所があってナンボなのだろう。

解州関帝廟はいくつもの殿で形成されており、どれも見応えがあるが、個人的なおすすめは巨
大壁画。芸術方面の才能が皆無の私でも、素直に感動できるのだ。

次の目的地は関羽の祖先が祀られている常平関帝家廟。ここがまさに関羽の故里とされると
ころだ。解州から約10kmと近いがSARS以降路線バスは廃止されたらしい。アクセスはかなり
不便といわざるをえないが、ここにもわんさか人民が!?地元民なのか、観光なのか…、よく
わからないがとにかく関羽が人民に愛されていることはわかる。この家廟は関羽の一族が祀ら
れている一風変わった廟。故里にふさわしい内容となっている。

最後は家廟から北約1.5kmの所にある関帝祖塋へ。これはすなわち関羽の祖父の墓。今はや
りのテレビドラマ撮影基地の中にあるのだが、ここにもわんさか人民が!普通の日なら、きち
がいじみた日本人観光客が一人、というパターンもありそうなのだが…。何度も言うが、関羽
恐るべしである。

実はこの日も解州からボリタクを利用。解州⇔常平までのバスがないんで仕方のないことなの
だが…。でも今日の運ちゃんはなかなかいい奴で、ぼる気配は最後までなかった。さすが関羽
の街、人民の道徳観も他とは違うのだろうか。

にしても戻った太原でスリースターへ引越しするも、服務員がサルのパスポートにビザがないと
騒ぎ出す。日本人はLビザ免除になったのを知らんのか?説明してもなかなか納得してもらえ
ず…。やっぱり太原は太原か…。
解州関帝廟
三大関帝廟の筆頭、解州関帝廟


2004.1.21 最難関
三劉の朝は遅い…。今回もまたやってしまった。しかも“三度の飯より三国志”、それ以上に睡
眠!を重要視する我々には目覚ましの音など耳に入らない…。今日は目的地がわんさか控え
ているというのに…。

まずは、太原最大の見所である晋祠へ。でもここは通過するのみで、すぐ三国演義城方面の
清徐行きバスに乗る。ここはサルが98年に行っていたので、彼の記憶をもとにすんなり到着。
サルの記憶ほどあてにならないものはないと思っていたけど、今回は成功。が、肝心の演義城
はいかにもやばそうな雰囲気が漂っている。人っ子一人いない上に、門は閉ざされ、いかにも
没落第三セクター遊園地といった感じだ。

本来なら、城門の前でがっくりと肩を落とし、落胆する二人が呆然としている画が思い浮かぶ
のだろうが、あまりの寒さに二人とも何の反応もすることができない。まるで、タイガーショットに
一歩も動けない森崎くんのようにだ。

とりあえす、演義城などにあまり期待していなかった二人は次の目的地を目指すことにする。と
そこへ羅貫中記念館を発見!98年当時はなかったらしい。裏口から入って、管理人らしき人に
金を払って見学。境内には羅貫中の像や、関連の石碑、展示物があり、なかなか見応えがあ
る。演義城などよりこっちの方が価値がある。

次はこの旅一番の難関・王允墓。どのくらいむずいかと言うと私が今からノーベンで東大理V
に一発合格するするのと同じくらいだろう。一通り羅貫中記念館を満喫した後に清徐までバス
に乗り、祁県までの足を探すことに。この街なかなかしょぼいらしく、祁県までのアクセスはおろ
か南方面へのバスはほとんど皆無。要は太原行きのバスばかり。ここから太原まで戻るのは
ばからしいということで、ボリタクとの交渉へ突入する。この運ちゃん、やる気が中途半端なの
か、途中の公道までしか行ってくれなかったが、丁度祁県行きのバスを拾えたのでOK。祁県
火車站付近で修善村方面行きのバスを探すも撃沈。またもボリタク利用を決意する。(正直あ
まりの寒さにボリタク使用頻度が急上昇。)站前にいたおっちゃんに王允墓について聞くと、な
んと知っているという。このおっちゃんの面的(ワゴンタクシー)で王允墓に突進&横付け。

王允墓、正式には王允の故郷につくられた衣冠塚というべきもの。数年前は立派な外観だっ
たそうだが、今となっては瓦礫の山に半分うずもれた形。お願いだから消滅だけは免れて欲し
い。帰りになって、ボリタクおっちゃんが修善村出身のジモティと判明。地元の人じゃなかったら
たぶん知らないんだろうし、もっと苦労したと思うと、今日はなかなかついている。

このままの勢いで平遥の武廟(関帝廟)へ。平遥は世界遺産に指定されており、綺麗な城壁と
昔ながらの街並みで有名だ。本当ならこういう街で一泊するのもいい。しかし、武廟見学後に
は遅い昼飯(名物の平遥牛肉)を食らって、関羽故里の運城へ火車で移動。この日は大晦日
にあたり、乗客はほとんどいない。こんな列車は本当に珍しい。運城着後には站前の巨大関
羽像を眺めながらチェックイン。なんと、非常に遅い出動ながら目的地は全てたどり着けた。こ
れは明らかにボリタクを有効活用した結果なのである。三劉旅人、遅まきながら三国志の旅を
始めて8年目にして、ボリタクの威力を思い知る!(今までは逆の意味で威力を思い知らされて
いたが…。)

ホテルにチェックインしてから服務員が除夕の餃子を持ってきてくれた。ホテルの窓から爆竹と
花火を眺めながら餃子を食らう。今日はなんと幸せな日なのだろう…。
平遥
世界遺産・平遥古城


2004.1.20 寒い、えぐい、眠い…
久しぶりの夜行硬座はやはりえぐかった…。サルのぎっくり腰がなくても、チャリ計画中止は火
を見るより明らか!だったら最初から大口たたくなよ!自分を責めつつも、今回ばかりは仕方
ない。だって、超寒いんだもん。で、眠いと来たらチャリなど乗るはずもなく、ホテルで速攻睡
眠。

しかし、ここからはいつもの三流の三劉ではなかった!約1時間半後出動。目指すは貂蝉墓。
いきなり今回のメインディッシュを食らうべく出陣。出鼻をくじかれると最後まで尾をひくんで、こ
こは何としても到達すべしだ。

太原から忻州へバスで向かい、そこから貂蝉墓付近まで行ける車を探すことに。で、結論。寒
いんでタクる!なんじゃ、そりゃ。いきなり三劉掟破りのタクシーチャーターかよ。でも、超絶寒
いんでしょうがない。こんなんでチャリ計画発動してたら、耳がちぎれていたに違いない…。

≪三劉の掟・第七条(遺跡へのアクセス):タクシー、バイタク、リンタクなどのいわゆる“ボリタ
ク”に乗って聖地(三国遺跡)へ入るべからず。但、超絶級の暑さ・寒さ、又は体調不良に襲わ
れた時はこの限りではない。(2004.1.20:但し書き追加)≫

というわけで、あっさり貂蝉墓前に到着するものの、門が閉ざされている。タクシーの運ちゃん
と門をガンガン叩くも中から何の反応もない。極力塀は乗り越えたくないし…と迷っていると裏
口発見!羊が群れる境内へ突入。

貂蝉墓、貂蝉像、貂蝉人形館…。どれも完成度が高く一見の価値ありだ。惜しむべきは人形
館が真っ暗で機能していないこと。ここに行く際にはライトは必携だ。
貂蝉墓
中国四大美女・貂蝉墓
次なる目的地は定襄の関王廟。バスターミナルを降りたところで、普通の人民に200元で行っ
てやると言われ、当然無視。近くまで行くというバスに乗り込む。途中T字路で降ろされ、まっす
ぐ左に行くと着くという。前方にボロ廟発見!その名も…、関王廟ではなく、龍王廟。ジモティ人
民に聞き込むもここには関王廟なぞないというではないか。そこで北側の村に場所をかえて聞
き込み。人民に声をかけようと一歩前進したところで、足が中に浮いた!?はて?思った瞬間
思いっきりこけた。バリバリに凍っていたものの、やはりこの靴はもう限界を超えているのだろ
う。“性能が悪いとこんなものか!”で、次の瞬間人民と目があった…。これは気まずい。人民
が逆に笑ってくれればよかったものを、思いっきり“だっせぇ〜ビーム”をわたわたに浴びせか
けているではないか。この瞬間、関王廟捜索中止が決定。一応形式ばった聞き込みをするも
のの、あまりの寒さで“関王廟”をうまく発音できない。あぁ〜!かっちょわりぃ!こけるわ、ビー
ム浴びるわ、発音できないわ、プライドズタズタ。

結局、定襄の呂布故里はアタックさえせず、太原へ火車で撤退。夜はしゃぶしゃぶで満足する
も、捜索一日目から波乱の予感…。


2004.1.19 恐怖の山西省シリーズ、スタート
結局、山西省で自転車に乗るか乗らないかは保留にしたまま旅をスタート。そしてスタートから
恐怖の夜行硬座18時間の計!学生じゃないんだから、もう体がついて来ない。と思いつつも
我々日本男児二人はなかなか善戦していたのかもしれない。我々二人は分かれて座っていた
のだが、サルの対面の人民は、しきりに“受不了(耐えられん。)”を連発。ふぅ、最近の人民は
弱くなったのぉ。一昔の人民は夜行硬座を楽しむ余裕すらあったのに。

人民はまだいい。一日耐えれば自分のふるさとで、ぬくぬくと“こたつでみかん生活”ができる
のだ!(ちなみに中国にはオンドルはあってもこたつはありません。)それに比べ我々は…、到
着して余力があったら、チャリ生活スタート。余力無しでも即日遺跡捜索開始。

まぁ、昨日までの出勤に比べたら100倍楽しいんだけど。


2004.1.18 ただのサル
春節休暇の調整で日曜の今日も出勤。日本人会の新年会にも出席してホテルに帰ると…、ま
たもサルがいないのです。まぁ、やっとやる気を出して外出したかと思うと、すっぽり布団を被っ
てまたも撃沈中。何だ?このサルは?青島に寝に来たのか!聞くと今日は徒歩15分のジャス
コ周辺に行っただけとの事。

晩飯もいらないとほざくところを、無理やり連れ出して近くの羊肉串店へ。自分で焼くことはでき
ませんでしたが、味はなかなか。店の雰囲気も北京のと似てて、二人とも大満足でした。


2004.1.17 サルバトーレ
今日は日本からサル甘寧が来る日。でも私は出勤なのです。サルは青島2度目で(中国は10
回以上)中国語もバリバリなので、ほっておいても全く持ってモーマンタイなんですが、ホテルの
送迎バスを手配したり、ホテルの小姐に言付けをしたりと至れり尽くせりの準備をしました。

で、ホテルに帰ってみると人気なし。まぁ、久しぶりの中国で嬉しくて外出してんだろうと思いき
や、ベッドで布団すっぽり被って寝てやがる!

話を聞くと、ぎっくり腰とかで今回のメインイベントの“チャリで遺跡制覇”を取りやめにしたいと
言い出すではありませんか…。とりあえず、この件は保留にして高級海鮮レストラン『怡景楼』
で食事をすることに。大龍蝦(伊勢海老)とか豪華なものを食いまくりました。せっかくの青島駐
在生活でもこういう食事は誰か客人が来ないと出来ないんだよね。


2004.1.16 死刑宣告
春節旅行の火車チケットが取れました!やったぜ!って、思いっきり夜行硬座ではないですか
…。しかも18時間…。旅のしょっぱなでこれは辛い…。どうしたもんでしょう。


2004.1.15 出撃準備
三国志遺跡の旅は情報をいかに集めるかで到達率が大きく変わります。半分は旅行前の情
報収集で決まるといっても過言ではないでしょう。今回予定している遺跡もなかなかマニアック
なところがあります。王允墓やら貂蝉墓やら…。今回は私が計画立案したこともあり、情報集
めも一人で…。がんばります。


2004.1.14 小年
そろそろ春節が近いのですが、今日は定時で皆が一斉に帰っていきました。最近の人民は、
“没有時代”では考えられないくらい勤勉になりましたが、何か行事があると家族や友人との時
間を最優先します。

今日は陰暦の12月23日。中国では“小年”と言い、春節が近いことを祝い(辞書には“かまどの
神を祝う”と載ってました。)、街は花火・爆竹の嵐となります。青島は大都市で禁止されている
爆竹は禁止されておらず、今日は深夜まで爆音が響いてました。

私、実は春節を中国で過ごしたことがなく(春節直後はありますが。)、“小年”なる存在を今日
初めて知りました。


2004.1.13 逆戻り
せっかく給料をもらったんですが、医療費(臨時)で2800元差し引かれました…。実に給料の半
分以上!やっぱ、両替せんと暮らせませんな。


2004.1.12 遅いわ!
今日は給料日。昨日の極度の金欠状態(手持ち50元ほど)を脱することができました。嗚呼!
一日差でこんなに苦労するなんて…。


2004.1.11 金欠症
今日の最大の任務は春節旅行のチケット(火車と飛行機)をゲットすること。でもその前に、
前々から行きたかった青島市の博物館に行ってきました。展示数はさほど多くはないのです
が、北魏時代の石仏(けっこう大きい)が展示されていたりと、歴史の浅い青島にしては見応え
がありました。

さて、肝心のチケットは…。海天大酒店内の旅行代理店で飛行機チケットをゲット。でも、手持
ち現金が少なく、仕方なくホテルのカウンターで両替。すると、現金不足とかで、拒否られてしま
いました。何とか食い下がり、やっと両替できましたが。

火車の方は自分のホテルで予約。(海天では5日前に自分で来店する必要があると言われ
た。)“太原行きのチケットをとにかくゲットせよ!軟臥でも何でもいい!金はある!”と無意味
にゴージャスぶったのはいいんですが、ここでも手持ちがなく両替に行くと、現金不足でまたも
断られました。(今回は粘っても駄目。)仕方なく、ATMで引き出す羽目に…。やっぱり、元払い
給料だけでは緊急時に対応できまへんな。こんだけ苦労して“チケット取れませんでした…。”
は許しませんで!



2004.1.10 君は“春運”の涙を見る…
平日でも込んでいる中国の交通機関ですが、その中でも超絶級の込みっぷりをみせるのが春
節。今年も恐怖の“春の運動”が始まりました。(春節期間の交通ラッシュを“春運”と言いま
す。)わかりやすく言うと、中国全土に山手線の朝ラッシュ状態が蔓延する時期なのです。

今年の春節旅行は太原に行く予定ですが、青島からの飛行機直行便がない為、火車で行くこ
とになりそうです。今日は青島站にチケットの様子を見に行ってきました。なんと、切符売り場
の外まで人の行列が…。こんなとこでまともに並んでいたら、いつまでたっても買えんぞ。さす
がに吐き気がするこの光景に耐えられず早々に引き上げて来ました。


2004.1.9 宴
今日の夜は晩餐会。まぁ、金曜だからいい方ですね。と言ってもワインにしっかり酔いましたが
…。


2004.1.8 休暇ゲットなるか?
もうすぐ春節休みですが、いつからいつまで休みになるかはっきりしてません。青島に来るサ
ルにあわせて休みをとるつもりですが、そううまくいくかどうか…。雲行きが怪しいです。


2004.1.7 超一流
青島で最もゴージャスなホテルは、シャングリラでも海天でもなく、クラウン・プラザ(旧ホリディ・
イン)。他のファイブスターホテルと比べて立地条件(ジャスコの対面)と新しさ・きれいさが光り
ます。

今日はこのゴージャスホテルからお声がかかり、上司達と部屋の見学に。自分のホテルもか
なり満足してましたが、実際見てみるとやっぱりきれい。窓からの眺めも最高。でも、ここに住
んでしまったら、遺跡捜索などできない体になってしまいそう。今でもファイブ・スター暮らしが身
に染みてたるみきってます。

春よ、早く来い!チャリで鍛えまくってやる!(寒いとチャリに乗らないだめなやつ…。)


2004.1.6 イヤイヤ嫌…
持ちこたえられるか?不安になりました。


2004.1.5 イヤイヤ…
とくれば、そう出勤です。まぁ、春節まで2週間。持ちこたえてやるさ!


2004.1.4 ぬけがら
約1週間青島に来てくれた友人が帰国。また一人ぼっちに戻ってしまいました。私が中国好き
でなければ、とっくに廃人になってるんだろうな…。


2004.1.3 大連開発区
遺跡捜索人にとって、この大連の街はさほど魅力がないかもしれません。それでも私はこの街
が気に入りました。何よりも街がきれいで、発展してて、日本が残っている。観光より住むのに
適した場所かもしれません。

今日はまず、上野駅を模してつくられたという大連火車站を見学。残念ながらその面影はあり
ませんでしたが…。そして大連開発区方面に走る電車に乗って終点下車。実は何かがあるわ
けではなかったのですが、ぶらぶらっと別荘地へ…。路面電車に軌道電車、別荘…、一瞬中
国にいることを忘れました。


2004.1.2 ロマンチック路面電車
日本が残したものエントリーナンバー2は路面電車!サントリーのCMにも使われたことがある
ここ大連の路面電車は現役バリバリなのです。路面電車と言えば、早稲田や江ノ島、札幌くら
いでしか見たことありません。乗ったのも江ノ島だけかな?うれしくて、星海公園に行った帰り
に(この公園で寒中水泳している人民がいた…。しかも一人で…。)乗ってみることに。乗り心
地はバスよりはかなり良かったです。

次なる目的地は動物園。正直大連は普通の街で期待できるような観光地はないです。街の雰
囲気を楽しみ歴史の面影を探るのがおすすめなようです。

夜は有名な海鮮屋で生うにを食べました。最高に美味い!やっぱり海鮮は青島か大連です
な。
路面電車
車両がかなりきれいな路面電車


2004.1.1 元旦in大連
元旦のおせちとかお餅とかお雑煮とかはもう数年食べてません。今年も正月という気がしない
し。とはいえ、今日から大連へ小旅行。大連は日本とは何かと関係のある街で、近年の発展も
目覚しいのですが、私は今まで行ったことがありません。三国志関連の遺跡や辺境はよく行く
のですが、逆に東北地方や南方はあまり行ったことがないのです。

青島から飛行機で1時間未満で大連へ。昔はロシアの租借地(後に日本へ譲渡)だったことも
あり、なかなかきれいな街。正直青島と似ているではないですか。

三国志以外にはあまり興味がなさそうな私ですが、最近は近代史にも興味を持ち始めました。
(知識はないですが。)特に戦争中の日本関連の建物や関連の地は是非見てみたいと思い、
宿泊は旧大和ホテルの大連賓館にしました。重厚なつくりで正直日本風ではありませんが、な
かなか歴史を感じさせてくれるホテルです。中には造られた当時の写真なども展示していま
す。

正直見所は少なく、今日は水族館、公園に行ってから買い物。まぁ、夜の海鮮鍋はかなりヒット
でした。
大連賓館
旧大和ホテル=大連賓館



2003.12.31 大晦日
中国大好き人間の私も大晦日だけは日本で過ごしたいと思います。もう、4年連続日本で大晦
日・正月を過ごしてません。クリスマスの雰囲気は近くなってきたとはいえ、大晦日・正月はや
はり日本独特の雰囲気があります。そしてなんと言っても今年は格闘技3連発!(PRIDE、K1、
イノキボンバイエ)あぁ、TVで見たかった…。曙KOはネットで知りました。紅白はNHKでちょっと
見ましたが…。

夕食は友人と団子スープを食べました。こういう時しか中華料理屋行けないからな。


2003.12.30 さよなら、アニタ・ムイ
香港の有名な女優アニタ・ムイが癌で亡くなりました。つい最近までは癌で苦しんでいるものの
なんとか復帰したニュースを見たばかりなんで驚きです。アニタ・ムイは香港芸能界で一番交
友関係が広いらしく、ファンも含め皆が悲しんでいることでしょう。私は特にファンと言うわけで
はないですが、彼女の出演作品は何本も見ているので、何だか寂しいです。(特に『酔拳2』で
ジャッキーと共演しているのが印象的です。)

今年はレスリー・チャンの自殺があったし、中国・香港映画ファンの私としては残念でなりませ
ん。


2003.12.29 シャコオンリー
お客さんが来たからといって、平日すんなり休めないのが辛いです。今日は普通に仕事をして
帰ってから青島の海鮮をご馳走しようと思ったんですが…。昼を食べ過ぎたらしく、結局食べて
んのは私一人。しかもメニューはシャコとスープ。主食をシャコにするのはちと辛い。20匹は食
ったかな。いくら好きとは言え…。


2003.12.28 ゴールデンコース
青島を案内する上で、ここだけは外せないという定番の見所があります。今日行ったのは、24
時間営業おかゆ店→桟橋→パークソン・デパート→教会→小魚山公園→カルフール…。1ヶ月
前、別の友人にも案内した場所がほとんどです。本当は博物館をメインにしてたんですが、どう
やら別の場所に移転していたようです。

夜は外食はせず、友人が作ってくれました。私の部屋は長期滞在用なんで調理用具は一式揃
っているんですが使ったことがなく、鍋がこげてたり、電子レンジが壊れていることを初めて知
りました。ホテルが在庫なしと言い張るところを無理やり換えさせました。(私でなく、友人が)

何はともあれ初めての自炊(私は皿洗いのみ)は大成功でした。


2003.12.27 鍋
友人は深夜初の飛行機で来たので(しかも乗り継ぎあり)、今日はホテルで休息。夜はホテル
近くの鍋(しゃぶしゃぶ)料理を食べに行きました。火鍋ではないので、辛くはないんですが、辛
い方が好きそうでした。機会があったら重慶火鍋をごちそうしましょう。
留学時代にはしゃぶしゃぶもよく食べました。これまたサルが大好きな料理の一つです。


2003.12.26 スタンバイ
明日から青島に来てくれる友人の為にスタンバイ。と言っても5つ星ホテル暮らしでA型の私は
掃除などする必要なし。それにしても私が赴任してから2番目のお客様(プライベートで)。青島
では孤独な生活をしているので、正直とてもうれしかったりします。


2003.12.25 クリスマス
中国ではクリスマス・イブとかクリスマスとか元旦とかあまり区別がない気がします。“年末はハ
ッピー!”以上!って感じです。クリスマス終わっても当分の間飾りつけが残ってますし。


2003.12.24 イブ?
日本では恐らく一番盛り上がるクリスマス・イブ。私的には特に何もしなかったんですが、中国
でもホテルを中心にいろんなパーティーが開かれてるようです。


2003.12.23 さむ
青島の冬は東京・名古屋とは比べものにならないくらい寒いのですが、今日はマシでした。と言
っても東京並みかな。


2003.12.22 ねむ
月曜は特に眠い…。朝飯のヨーグルトをゲットするのが精一杯です。


2003.12.21 散歩
今日は散歩がてら湛山寺に行って来ました。ホテルからだと徒歩で約1時間なんで、耳が痛
い、痛い。古い寺廟が少ない青島ですが、この湛山寺はしっかりとした中国式のお寺です。(と
言っても20世紀に入ってから建てられているので、歴史は浅いです。)規模も青島天后宮より
かなり大きく、お寺好きならそれなりに満足できそうです。

夜は久しぶりに中華レストランに一人で。前から狙っていた羊肉串と板筋を頼みました。あぁ、
北京留学時代が懐かしい…。北京の味には及びませんが、今日は久しぶりに満足できまし
た。


2003.12.20 休日出勤を回避せよ!
日本では毎日深夜まで働くことが当たり前でしたが、こちらではそういうことはありません。た
だ、何だかんだ言って休日出勤することが多いのです。休日はじける事しか楽しみがない私に
とってこれは辛い。
今日も、自分の権力の及ぶ範囲で出勤を回避したはずだったのに、結局別件で出勤…。あ
ぁ、無情!


2003.12.19 韓国万歳!
青島では日本人より韓国人の方が多く、よって韓国料理店もたくさんあります。韓国料理も中
華料理に負けず劣らずおいしい!今日の晩御飯は韓国焼肉でした。本場の味に迫る勢いでな
かなか満足です。(昔、韓国に行った時は、焼肉のあまりの美味さに4日間全食焼肉でしめま
した。)


2003.12.18 追い討ち
追い討ちをかけるように今日は1時間の早出…。このままでは睡眠不足死してしまう…。


2003.12.17 ネム…
平日から宴会とかカラオケが入ると辛い…。朝起きるのがさらにおっくうになり、危うくヨーグル
トをゲットし損なうところでした。


2003.12.16 平日カラオケ
お客さんが夜着ということで、そこからカラオケに直行。歌える歌が最初から少ないのに、そこ
のカラオケ店の曲数も多くない。となれば歌える曲は…、そう「月亮代表我的心」のみです。


2003.12.15 日本食?
時にベテラン駐在員も失敗をしでかします。今日は初めて行く日本料理屋へ。そこで頼んだ牛
丼、甘すぎてはっきり一言で言えば"まずい"。
昔、西安でサル(だったかな?)が頼んだ天丼は、ちっちゃいえびが数個入ってるだけで、しか
もスープ入り。意味不明。青島の日本食はレベル高いんだけどな。


2003.12.13 青島スターバックス
やった!遂に青島にあのスターバックスがオープンしました!待ってました!あのキャラメル・
マキアートを後数時間で飲むことが出来るなんて!久しぶりに心臓がバクバクいっている!
早速、スタバが入っている海天大酒店へGO!勇んで入店。カウンターで注文しようとすると、
席へ通される。こ、これは…!?席に置かれたメニューを見ると10種類くらいしかない。俺のキ
ャラマキはどこじゃ!
やられた、ここは「スターバックス」ではなく、「青島・スターバックス」なのだ。果たしてスタバ公
認の店であるかは謎。
“青島”スターバックス


2003.12.13 馬だらけ
結局、今日の目的地は臨zi。実は1年前に行った事あるんですが、晏嬰墓捜索に手間取りほと
んど見学できなかったのです。とか言いながら朝ぐずっていたせいで、臨zi着が午後3:00。結
局、殉馬館しか見れずに撤退…。それでもこの殉馬館、なかなかすごいです。斉の景公の埋
葬物という説が有力のようですが、馬を殉死させて埋めるとは。その数600匹だそうです。つく
づく昔の権力者は残酷でやることのスケールがバカでかいなと…。

この臨ziはいろんな墓がごろごろしているんで、次回行くときはチャリを持っていって燃え尽きる
予定です。
馬、馬、馬…実際に見るとすごい!


2003.12.12 計画立案日
金曜日は週末のプランを練る至福の時。実は旅行ってのは計画を立てている時が一番楽しか
ったりします。明日の目的地はずばり…、ずばり…、ずばりのはずが悩んでいる。明日の気分
で決めよう。

2003.12.11 日本食
中国駐在員の飯は毎日日本食だ!なんでだ!俺は中華が食いたいぞ!と心の中で唱えても
無駄。今日のご飯はコロッケ定食。何だかんだ言っておいしかった…。


2003.12.10 董事会本番
遂にこの日がやってきました!って、全然楽しみにしてたわけではないですけど。董事会、あっ
さり終了。こんなもんかぁ。


2003.12.9 董事会準備
中国の会社における一大イベント。それが董事会(取締役会)です。明日の本番に向けて準
備、準備。


2003.12.8 クーリング・ダウン
曹植墓強行軍の影響が残っているのか、なんだかだるい一日。やっぱ平日はつらいぜ!


2003.12.7 引きこもり
日本にいる時の私はいわゆる"引きこもり"でした。土日は朝から晩まで撮りまくったビデオを
ひたすら見まくるわけです。それでも日々録画する量が半端ないんで、どんどんたまる一方だ
ったんですが…。

今日は久しぶりの引きこもりモード。さすがに昨日の夜行硬座が効いたのかな?それでも休日
に何もしないとなんだかもったいない気がします。


2003.12.6 感動の嵐、曹植墓!
実は、夜行硬座に乗るのは一年前の済南→合肥以来のような気がする。寒いし、うるさいし、
漏れそうになるし…。しかも済南着直前に、前のオヤジが吐きやがった!うぉっ!!!もう、声
にならん…。

実は夜行硬座より、着いてからの方が辛かった…。東阿を経由するバスの始発は7:10。約3時
間も待合室の地べたで待機。バス自体は駅前のバス停から出るんでチケットは確保できたも
のの、これならあの硬座の方がましだわい。

いよいよバス出発か?と思ってバスを探して係員に切符を渡すといきなり激怒されるではない
か!この寒いのに3時間も待ったこっちの方が怒りたいのに!聞くと、出発ぎりぎりに来たわた
わたは(と言っても20分も前に行ったのに)、もう来ないもんだと思われていたらしく、他の人民
に席を与えてしまったとのこと。ばかな!ほざくな!責められるべきは早とちりした係員であっ
て、わたわたではない!しかも今度は、わたわたの代わりに降ろされた人民姐ちゃんが、舞い
戻ってきてバスを出発させないではないか!聞いているとどんどんエスカレート&ヒステリック
になっていく。人民よ、基本的ルールは守りなさい。

東阿で下車後、今度は汽車站対面から出ている単庄行きのバスに乗り換え。終点近くで曹植
墓に行きたいと告げると運良く、すぐ近くまで連れて行ってくれた。曹植墓は魚山にあり、彼が
葬られた本物の墓。埋葬品が出土しており、遺体(と言えばいいのかな?)も見つかっている。
近年整備されたものの、歴史の重みもしっかり残されており、雰囲気は最高。曹植が愛した魚
山からの黄河の眺めも絶景!これほど、わくわく&ぞくぞくした墓はすごく久しぶりで、私は劉
備ファンでありながら曹植に一瞬浮気をしてしまった。偉大なり!曹子建!

帰りはすごく寒かったんで、通常なら歩いてバスを探すところを、曹植墓付近で待機。が、待て
ど暮らせどバスは来ない。なるほど、来る時は運ちゃんが親切でここまで来てくれたんだな。仕
方なく、歩いて街を探すものの、まず方角がわからない。太陽と墓と黄河の位置を頼りに適当
に歩く。(いつもはコンパス持ってるんですが。)1時間歩いて寒さで耐えられなくなった頃、よう
やくバス発見!“うぉりゃぁぁあ!りゃ!”と心の中で雄たけびを上げ、バスが行ってしまわない
かと心配だったんで、超絶ダッシュ!息切れしながら運転席を覗き込むと誰もいない!客もい
ない!ドアも閉まってる…。あぁ…、この街はどうやらバスがゲリラ的に出現するらしい。どこか
ら出発するかわからん状態だ。というわけで、結局更に1時間歩いて国道へ。疲れと言うより、
寒さに耐えられなくなった頃、ようやくバスを拾うことが出来た。

済南に戻ってからは、有名な大明湖に行くことに。実は私のあいまいな記憶では、98年の留学
時代に行った気もしたが、湖の名が私の狂った友人の名前と同じだったんで、話題に出てきた
だけのようだ。行ってみるとやはり初めての場所。正直寒すぎたんで、一部を見て観光終了。

済南からは豪華バスで青島へ約100元。行きは鈍行火車で30元もしなかったけど、快適性を
考えるとこんなもんかな。にしても留学当時だったら絶対速攻で鈍行火車を選ぶ気がする。特
に当時のサルなら間違いない。今では絶対にそんな気にはならないけどな。

青島着が、夜11:00ということで、深夜2:00までやっているジャスコのレストランで食事。あれ?
これって今日初めての食事じゃん?楽しすぎて、寒すぎて、食べることを忘れてました。
曹植墓
大明湖
しっかり整備された曹植墓
大明湖。暖かい時に行くべし!


2003.12.5 恐怖!夜行硬座!!
今日も晩餐でしたが、いつもより早く終了。というわけで、かねてより狙っていた曹植墓へ向け
て出撃!実は曹植墓は去年の山東省旅行で断念した経緯があります。あの時は臨yiを出発し
て一日で荷沢・李典墓→東阿・曹植墓を見てから合肥行きの夜行硬座に乗るという計画を立
てました。誰が見ても無謀!という計画ですが、案の定両方とも行けませんでした。

にしても夜行硬座はすごく久しぶりです。夜10:00青島発、朝4:20済南着です。夜行硬座にして
は軽めのはずですが、すんごく辛かった…。


2003.12.4 蟹!
今日は宴会。ですが、お客さんが日本人&外国人ということで、中国式の乾杯攻撃は無しで
す。いい感じで終わればあの乾杯攻撃もそれなりに面白いんですけど、いつも度が過ぎるんで
すよね。今日は静かに終了。


2003.12.3 少
今日の夜ご飯は少人数で。一人は寂しいですが、少人数の方が気楽かも?


2003.12.2 遅
中国人は一般的に晩飯を18:00頃に食べます。早っ!私が日本にいた頃、晩飯は大体22:00過
ぎでしたが、「郷に入っては郷に従え」です。今は19:30頃には食べ始めてます。今日は遅めし
でしたが。


2003.12.1 クリスマス・モード
ここ数年の中国は、ホテル・デパートを中心にクリスマスを大いに楽しもうという雰囲気がます
ます高まってきました。私が泊まっているホテルのロビーは、クリスマスツリーや飾りでぎらぎら
になってます。私の部屋の前にもクリスマスツリーが設置されました。この勢いだと、後数年で
超お祭り好きの日本を追い越すような…。

2003.11.30 台東
土日どこにも遠出をしないと頭が腐りそうになります。遠出とはすなわち青島から出ることです
が、今日は日曜ということもあって、市内の台東に行ってきました。台東は街の北に位置して
て、観光客にはあまり有名ではありませんが、かなりの繁華街です。中心は歩行者天国になっ
てて、ウォルマート(スーパー)もありました。

近くにあるはずの電子信息城は発見できず…、というか寒くて引き返しました。帰りにジャスコ
前の地下街でフェイウォンのCD3枚組み(将愛)を買いましたが、なんと音が飛んでいる…。最
近はVCDといい不良品をよくつかまされます。留学時代にはそんなことなかったのになぁ。


2003.11.29 香格里拉と書いて…
シャングリラと読みます。そうあのガンダムZZでジュドーが住んでいたコロニーとして有名なあ
れです!(普通の人にとっては小説の方の理想郷として有名らしい。最近小説のモデルとされ
た雲南の街にこの名前が冠せられました。)そのコロニーの名前をつけた(?)高級ホテルシャ
ングリラ…。中国では超有名で一度は泊まってみたい!

今日は宿泊ではなかったのですが、チャリティーパーティーが開かれ参加しました。正直私は
場違い…。仕事で駐在している西洋人・金持ち中国人・日本人マダムが大半を占めていまし
た。そんなところで遺跡やら、墓やらの話題はもちろんできるはずもなく、マダム達の駐在生活
の楽しみ方に耳を傾けていました。趣味は私とは違いますが、本当に青島での生活を満喫し
ているようで、私も見習おうと思います。

ま、たまにはこういうパーティーもいいかな。シャングリラ制覇(?)したし。


2003.11.28 ヨーグルトだけはゲット!
最近は朝飯でヨーグルトをゲットする確立が高くなってきました。朝のタイムスケジュールはこ
んな感じです。
【わたわた、ヨーグルトゲットへの道】
7:58:目覚ましセット(起きては寝て…を繰り返し8:00までには始動)
8:00:着替え開始
8:02:ネクタイ装着開始
8:05:スーツ装着完了と共に歯磨き開始
8:07:財布、鍵、時計などを装着
8:09:靴を履いて部屋を飛び出す
8:12:超絶ダッシュでレストラン到着
8:13:小姐に席へ案内してもらう(近くの席が開いていない場合はピンチ!)
8:14:ダッシュでヨーグルト置き場へ
8:15:ヨーグルト一気飲み(ストローで)
8:16:ロビーで上司と待ち合わせ

ちなみにこれが1分でもずれた時点でプランBへ変更。すなわちヨーグルトはドブに捨てること
になります。(奇跡的にも早めることが出来た場合もプラン変更。パンやキムチスープがメニュ
ーに加わります。)


2003.11.27 生蟹
上海では秋は蟹の季節。青島は一年中海鮮祭りが出来ます。今日は平日宴会。生蟹がでまし
た。と言っても生きているまま食べるわけではありませんよ。でも蟹はやはり蒸した方がおいし
いな。昔、北京の上海料理屋で食べた生蟹は超おいしかったけどな。


2003.11.26 哀れ
日本から元上司が出張できました。先回来たときは私の荷物が届く直前で、半そで姿の私を
見て哀れんでくれたのか、今回は服を持ってきてくれました。(ありがとうございました。)


2003.11.25 三日酔…
ビールと紹興酒を想像しただけで、本当に吐きそうになるほど影響が残っている。なんと三日
酔です。最悪。こうなったら酔八拳を会得するしかないかな?


2003.11.24 二日酔…
二日酔で最悪の目覚め…。親友夫妻が帰国と言うのに、満足に挨拶も出来ずわたわたは出
社。会社までの送迎車のGに耐えられず何度吐きそうになったことか…。

意識が朦朧としていたせいか、会社の机の鍵をホテルに置き忘れてしまった。これを理由に親
友夫妻がチェックアウトする11:00を目処にホテルに戻ることに。10:30まで会社のトイレで死ん
でた為、ぎりぎりでホテルに帰還。無事親友夫妻と合流して、空港途中までホテルの送迎車で
一緒に向かうことに。
本来ならきちんと見送りたかったんだけど、休みの自由が利かないんだよな。でもホテルの無
料送迎ワゴンに乗れたんで一安心。私もちゃっかり会社までその車で戻ってきたし。

にしても久しぶりの二日酔…。仕事どころじゃなかった…。


2003.11.23 意識不明…
親友夫妻は青島に3日滞在の予定ですが、1日フルに使えるのは今日だけ。というわけで、寒
い中3人とも張り切って出発。

まずは八大関という別荘地にある花石楼を見学。ここはもともと帝政ロシアの領事館だったの
を、後に蒋介石が別荘として使ったとのこと。正直大きくはないですが、なかなか西洋チックな
建物で、最上階からの眺めがいけてます。すぐ近くが海水浴場になってるんで、夏に来たらも
っと楽しめるかも。

次は山東省、いや中国が世界に誇る偉人・孔子の廟。近くで交通整理をしていた人民に道を
尋ねると、“お前はどこのものだ?”→“何?日本だと!”→“お前らがやったことは絶対忘れな
いぞ!”→“えぇ、お前はどう思ってるんだ!?”→“俺たちは核を持ってるんだから貴様らなん
ぞ、怖くないぞ!”
これが、観光地で交通整理をする者の発言とは…。正直こういう人はここで交通整理をする資
格はないと思います。戦時中に実際にひどい体験をしたかもしれませんが、それを観光客に八
つ当たりする形で返すなんて…。中国でここまではっきり言われたのは初めてだったので、激
ショックでした。(今まで、“小日本鬼子=日本人に対する蔑称”とか言われたことはありました
けど。)

最近は珠海の集団売春や西安の“下流”踊り事件などで日本批判が強くなっていますが、日本
人は単に謝って流すだけではなく、時にはその問題の中に飛び込む必要もあるでしょう。中国
のメディアでは普通に“小日本”という言葉が使われています。戦争を知らない若い世代でも、
メディアの影響で知らず知らずのうちに反日感情を抱いている人がいます。日本では単にブー
ムにのるのではなく、本当の中国迷=中国ファンが確実に増えているのに、このままでは片思
いで終わってしまうような気がします。日本と台湾の関係は、若者の世代を中心に良い形にな
っているのに…。(日本と台湾は、両国のいい意味での“おたく”同士が共通の文化を築いてい
る。)

で、結局孔子廟は休日は閉館してて入れませんでした。というわけで、昨日入れなかった教会
にGO。なんとここも日曜の午前はでミサがある為入館できず、仕方なく中山路付近で包子を食
べることに。入った店は小さかったのですが、メニューに“南翔小籠包”があったので期待大。
実は親友(夫)とは7年程前に一緒に上海豫園で本場の南翔小籠包を食べたことがあり、彼は
あの包子を忘れられないようです。青島で包子に期待されても…と思ってましたが、ここのはな
かなかいけました。

昼食後、パークソン(マレーシア系デパート)でおやつを買ってから、教会へ。私としては4度目
にしてやっと入館できました。考えてみれば、ちゃんとした教会に入るのは生涯初めてのような
気がします。私としてはやはり東洋系の廟の方が落ち着くな。

キリストパワーが冷めない内に、青島水族館まで散歩。水族館見学後、青島ではたぶん2番目
に有名な観光地・石老人へ。これは海に岩がたっているだけなんですが、岩の形が老人のよう
に見えるということで、有名になってます。

一通り青島を満喫したところで一旦ホテルに引き返し、トランプ(ポーカー)大会突入。“短期留
学中や夜行硬座などで鍛えた腕をみせたる!”と意気込んでみたものの、結果はわたわたの
ボロ負け。必殺のイカサマ技が通用しなかったのが痛かった…。(って、反則してでも勝つのが
私のやり方です!“勝ちは勝ち、負けは負け”(賭神・龍四)by香港ドラマ『千王之王』)

さて、最後の晩餐はホテルから徒歩5分の所にある怡景楼。海鮮で有名なレストランで前々か
ら行きたかったんですが、一人ではとても行けない高級店です。ここぞとばかりに蟹やら蝦やら
シャコやらを頼み、ビールで乾杯。調子に乗りまくって紹興酒に手を出したあたりから、意識が
なくなり気付いたら12:00になってました。(断続的にトイレで吐いているビジョンは残ってます
…。)
はぁ…、ホスト役の私が潰れてどうするんでしょう?(特に奥さん、ごめんなさい。)次回は絶対
潰れない為に、少林寺にこもって修行してきます! 


2003.11.22 青島案内
というわけで、準備万端ではないですが、空港まで親友夫妻を迎えに行きました。ホテルの無
料バスは時間が合わず、貴都大飯店から出ている民航バス(10元)に乗車。どうやら1時間に1
本はあるようです。南京路を北上中に、何と北京ダック店を発見!夕食はこれで決定です。

青島空港は小さいので、まず迷うことはないでしょう。(現在拡張中ですが。)あっさりとお迎え
完了。帰りはホテルの無料送迎バスを予約しておいたんで、即引き返すことに。

親友は以前一緒に上海・洛陽に行ったことがありますが、上海はともかく洛陽と比較して、きれ
いで発展した青島を見て半驚き・半残念な様子。正直青島は中国らしくないですからね。私も
たまに“洛陽みたいに超中国なところに駐在だったら?”って想像しますが、長期滞在ならやは
り便利できれいな青島でしょう!正直以前の北京(語言周辺)より過ごしやすいです。

奥さんは初中国が今回の青島ということなので、中国のイメージが美化されてインプットされる
ような気が…。“奥さん、違うんですよ!本当の中国はもっと汚くて、チャリが洪水のように流れ
てて、危ない&トイレが超絶汚い…”って、そうではなく、“もっと中国の歴史が詰まった、昔から
の生活リズム・雰囲気が漂っている街を見てみてください!”と薦めたいのです。

青島は見所が少ないとはいいますが、沿海の景色が素晴らしい街であります。というわけで、
青島ビールのマークにもなっている桟橋に早速GO!先回チャリで来たときは桟橋から人がこ
ぼれ落ちそうな程の込みっぷりでしたが、今日は寒いのかなかなかすいてていい感じ。青島ビ
ールマーク=回瀾閣でやってる珊瑚展もしっかり見てきました。
次も青島では有名な天主教堂。要は教会なのですが、中国では珍しく、また元ドイツ租界の青
島にはなかなか映える建築物なのです。前回行ったときは夕方で閉まってました。で、今回も
同じような時間に行ったんで、やはり開いてませんでした。アホか?俺は…。案内役なのに。

親友夫妻が青島を甘く見ていたのか、はたまた日本が暖かすぎるのか、私が忠告するのを忘
れたのか…、理由は何にせよ、明らかに寒そうな二人の装備を整える為にジャスコへ。(とか
言って、超寒い中奥さんと私はアイスをゲット!寒さが増した?)防寒具をゲットして本日のメイ
ン北京ダック店に向かいました。
偶然発見したにしてはなかなかの店構え。北京にあっても不思議ではないぞ。北京ダックの他
に4〜5品+ビール。チェックイン時間がぎりぎりだった為、前日は漫画喫茶に泊まった2人は結
構疲れていたみたいで、料理を残してしまいましたが、3人とも味には大満足。それよりも私的
には久しぶりに会えて話せてよかったです。正直、駐在生活(平日)は孤独なのです…。


2003.11.21 準備
明日から親友夫婦が遊びに来るので、その準備を。部屋の掃除?これはホテル暮らしだし、さ
ほど散らかさないので不要。ずばりどこでご飯を食べようかと調べていたのです。バリ駐在員
生活の私は毎日日本料理。自由がきく週末は、時間があれば青島を脱出するので、実は市内
のレストランはほとんど知らないのです。

今回は私が駐在してから初の客人でもあり、半ばグルメ旅行ということもあって、相手の希望
を極力かなえたい。リクエストはずばり@北京ダックA包子。ガ〜ン!両方とも青島には少な
いというか見たことないぞ。ネットでやっとこさダック店を1軒見つけました。まぁ、最悪北京にで
も行きますかね。


2003.11.20 カラオケ
中国では日本以上に接待でカラオケを使います。日本では歌える歌がなく、ほとんど歌わない
(というか歌えない)のですが、中国では毎回1曲くらいは歌います。最近のお気に入り『男児当
自強(ジャッキー・チェン)』を歌おうとしたらないではありませんか!あの人民の英雄・楊利偉
(神州5号パイロット)がジャッキーと一緒に歌った歌なのに!

というわけで、王フェイの『相約98』に急遽変更…。この歌は留学中にクラスで歌ったので、何
とか歌えます。にしてもおつきの小姐達は本当に歌がうまい。日本語の歌も歌えるし。やっぱ
毎日練習してるんだろうな。


2003.11.19 風が吹くと鍋屋が儲かる
最近青島はかなり寒いです。そろそろマフラー&手袋が必要です。風なんか吹かれるともうた
まったもんじゃない…。風が吹くと…なんやらの法則で桶屋が儲かるらしいですが、我々の場
合は単純です。風→さむ→鍋!というわけで今日の晩飯は鍋でした。


2003.11.18 伝書鳩
平日は会社→日本料理屋→ホテルと移動するのみの生活。駐在員はこんなもんです。名づけ
て“伝書鳩”生活。今日は久しぶりに晩飯後に上司と珈琲を飲みに行きました。鳩もたまには
寄り道したくなるものです。


2003.11.17 平日飲み
月曜日から飲み会は辛いんで、今日はなるべくセーブする作戦。しかし日本で通用してもここ
中国では通用せず…。“ならば、貴様らまとめて返り討ちにしてやるわ!”と一瞬本気になりか
けましたが、すぐに正気を取り戻して退却。危ない危ない。


2003.11.16 キックベース
今日は青島で2番目くらいに大きい体育館を借り切って、日本人会のキックベース大会が開催
されました。北京留学時代にも日本人会に入っていましたが、北京のは規模が大きいこともあ
り、あまり交流の場が持てずに終わりました。(サルは役員みたいのをやってたんで、あくまで
もアウト・ローわたわたの話です。)ちなみに北京日本人会の事務所は建国門・長富宮飯店に
あり、そこで漫画やら本やらを借りることが出来ました。(当時、内輪で『キャプテン翼』を読み
直して盛り上がってました。)青島も海天大酒店に事務所があるようです。

昨日の山歩きで実は既に足が痛く、革靴しか持っていないわたわたは傍からみればやる気レ
ス。しかし久しぶりに燃えました。靴底がスベスベなんで、こけそうになったりと大変でしたが、
結果は1勝1敗1分となかなかでした。結構楽しめたし、賞品ももらえたし。

そういや、遺跡捜索にもいつも革靴で行ってるなぁ。そろそろ、運動靴を買わないとね。(社会
人になってからサンダルか革靴しか履いてない。)そういや、昨日の山歩きでも滑って崖から落
ちそうになったっけ…。


2003.11.15 徐庶よ、いずこ?
山東省には巨大岩石がごろごろしている険しい山(泰山・ラオ山など)が多いのですが、今日の
目的地・大珠山も標高は低いのにかなりきつい山でした。
何でも大珠山は三国時代の名軍師・徐庶が隠居していた場所らしく、かつては徐庶廟があった
らしいのです。(今でも廟の土台だけは残っている?)

ルートは青島≫(フェリー)≫黄島≫(長距離バス)≫Jiao南≫(市内バス)≫大珠山。(総所要
約3時間)着いてみてわかったのですが、徐庶廟は大珠山の南麓にあり、いわゆる観光地の
大珠山(北麓)とは全く別の場所。今日は出発が遅く、パスポートも持ってきてなかったので、
やむなく観光地だけ見て帰ることに決定…。(徐庶よ!今年中には行くぜ!)

観光地だけと言うものの、この山がかなり険しい。結構有名らしい石門寺は入り口付近にある
ものの、メインの大珠山大仏はいくら登っても辿り着かない。最後はお約束で、とげをかき分け
崖をわたり…、行き止まり。意味不明のまま約3時間さまよい引き返しました。
後でわかったのですが、ここの“大仏”とは“奇岩が重なった様が大仏に見える”というもので、
人工の大仏ではなかったのです。うぅ、強風の中走り回った俺はただのアホか?

帰りに入り口付近の人民カップルに“山の見所までどのくらいかかるの?”と声をかけられまし
た。私自身は3時間もさまよっていたのにも関わらず、なぜか“30分で着くよ”と答えていまし
た。実は“高橋尚子ばりに死ぬほど超絶ダッシュで30分ね。”と付け加えたかったのですが、人
民は高橋尚子知らないよな、といろいろ考えているうちに行ってしまいました。もう午後4時をま
わっていたので、あの人民カップルは無事に戻ってこれたのかな?

帰りにジャスコ前の地下商店で『天地英雄』のDVDを購入。VCDがだめならDVD!と意気込ん
で買ったものの、DVDに地域コードがあることをすっかり忘れており、案の定PS2では再生でき
ませんでした。(日本語字幕ありの『活着』は見れました)“2度とも失敗なんて!”と半狂乱にな
りましたが、パソコンで再生に成功。何とか狂い死にせずに済みました…。
石門寺内関帝像
大珠山よりの遠望


2003.11.14 ドブ
普段朝ごはんを食べない私ですが、さすがにファイブスターの食事をみすみすドブに捨てるわ
けにはいきませぬ。というわけで、最近は出発3分前にレストランへ行ってヨーグルトだけ飲ん
でます。?やはりご飯はドブに捨てていることになるのかな?


2003.11.13 寒
一日で暖かくなればコートを脱ぐ予定でしたが、もう後戻りはできないようです。


2003.11.12 コート
日本ではここ数年、どんなに寒くても年が明けるまではコートを着ないで出勤してました。
しかし青島ではこの意味のない気合はまったく通用せず、今日からコートを着て出勤。やはり
寒い。


2003.11.11 やられた…
会社帰りにジャスコで『天地英雄』のVCDをゲット。この映画は『紅いコーリャン』などで有名な
姜文や『少林サッカー』のヴィッキー・チャオ、そして中井貴一らが出ている話題作。ある筋では
あの『英雄(ヒーロー)』より面白い!というので楽しみにしていたわけです。

結果は…、VCDのファイルがパソコンで開かん!2枚組みで2枚とも…。海賊版でなくて、
正規品。しかもジャスコで購入したのに…。レシート捨ててしまったんで、返品不可…。あぅぅ!


2003.11.10 おめでたまご
一緒に無錫・南京に出張に行った中国人の同僚に御子息誕生!ということで、出産記念
たまごもらいました。中国は一人っ子政策敷いているんで、赤ちゃん誕生はさぞうれしいこと
でしょう!
おめでたまご
おめでたまご(ゆでたまご)


2003.11.9 青島ビール飲み比べ大会
遂にやってきました飲み比べ大会。諸葛さん・ナグさんと待ち合わせて人民食堂で昼食を
とってから試合開始!ちなみに場所はナグさんの部屋。

13:00頃スタートして19:00頃まで飲んでました…。ちゃんと飲み比べられたんで
しょうか?不安が残る結果はこちらです。結果はともかく楽しかった!


2003.11.8 青島ミーティング
青劉を通して知り合った諸葛第三夫人さん・ナグさんと一緒にしゃぶしゃぶを食べに行き
ました。そういえば、青島ではしゃぶしゃぶははじめて。諸葛さんお勧めのお店は超満員で
かなりの人気店のようでした。最初はかなり待たされましたが、味はなかなか好!中国
では全員で一つの鍋を囲むのが主流と思いますが、青島では一人一人専用の小鍋でしゃぶ
しゃぶするのが主流のようです。

飯も美味いし、話も弾んで、明日も会合を開くことになりました。ずばり延期中の青島ビール
飲み比べ大会です。諸葛さんとナグさんはかなり酒に強そうなので、気合を入れて望まねば!


2003.11.7 冬将軍
青島は今日から急に寒くなりました。ホテルに戻るときには強風で前に進めない程でした。
あぁ、今年は自転車の出番はもうないかもしれません。イベントらしいイベントはラオ山往復
くらいでしたが、暖かくなったら再始動します。


2003.11.6 K1VS相撲
YAHOOニュースで知りましたが、曙がK1参戦を表明し、ボブ・サップと対戦するそうですね。
大丈夫かな、曙。日本の柔道は実践でも十分通用することを吉田が証明しましたが、相撲は
どうなんだろう?まぁ、ボブ・サップが負けるとは思えませんが。

中国では、格闘技(K1、PRIDE)が見れないのが辛い…。WOWOWが映るんで、UFCは
見れるんですが…。


2003.11.5 乾杯
中国に来てから飲み会が滅茶苦茶増えました。何かイベントがあるとその晩は必ず飲み会。
そして例の如く乾杯攻撃。今日は連続攻撃をくらい、というかこちらから半ばしかけ、半死の
状態。休ませてくれい!


2003.11.4 国際電話
駐在後、仕事以外で初めて国際電話をかけました。IP電話(IPカードを買って暗証番号を打ち
込んでかける。)カードもIC電話(基本的には日本のテレホンカードと同じ)カードも持って
ないんで、やむなくホテルの電話を使いました。サービス料は15%加算。中国のサイトで調べて
みると、台湾のある番号経由でかけると国際電話が安くなるとあったんで、試してみました。
なかなか繋がりませんでしたが、何とか成功。請求書が来るのがある意味楽しみでもあり、
多少の恐怖もあります。単純に考えると国際電話を二重にかけることになるんで、もしかして
やられたか?まぁ、給料から天引きになるんではっきりわからないかもしれません。今度はIC
カードを買っていくらかかるか試してみようかな。


2003.11.3 後遺症
昨日の訓練が強烈過ぎて、体力的にも、肉体的にも後遺症が残ってます。ああいう訓練は
日本人には正直辛いものがある…。


2003.11.2 団体精神を鍛えよ!
日曜で風邪ひき中なのに、“団体精神を鍛える”為、会社の特殊訓練に参加してきました。
(日本人参加者は私一人)まずは4つの団に分かれ、団名、団長、団旗、団歌、スローガン、
団員の特殊工作員名を決めます。どこの団もものすごい勢いで次々とこれらの項目を決めて
いきます。(ちなみにうちの団の工作員名は各国著名の政治家の名前。私は必然的に“小泉”
に決定。)そしてあちこちから机をたたきながらスローガンと団歌合戦の嵐!

次はいよいよ本格的訓練。内容は…。@団長以外全員目隠しして、障害物を越えていく。A高
さ1.5mから人を落として皆で受け止める。B高さ10mのポールからジャンプして1.5m先の
鉄棒につかまる。(命綱あり)C鉄ポール運びDムカデ競争(横歩きや後ろ歩き、声出し禁止
の変形ルールあり)全ての項目の後には意見交換と反省会。

実はラオ山に皆で登って団体精神を高めると聞いていたので、風邪をおして参加したん
ですが、まさかこんな意味不明な活動に参加するとは…。一番の恐怖はBの10mからの
ジャンプ。団体精神の為に途中棄権は許さん!と鬼教官から言われ、辞めるなら今のうちだと
宣告。たまたま一人高所恐怖症の奴がいたんで、勘弁してくれと言ってたのに、半ば強制的に
参加。すごすぎるぜ!

昼休み明けには鬼教官から1分の遅刻も許さん!との御達しに皆5分前集合。さすがに半日で
団体精神がここまで高められたか!と感動してたのに、肝心の教官が15分も遅刻。皆は
サッカーする始末…。ここで、ただのヘボ教官ではない所を見せる為、自ら腕立ての罰を受け
てたつのかと思いきや、何もなし。ただのヘボかぁ。

とにかく、今日の訓練は皆完璧でした。この勢いを仕事にも反映させたら中国経済は恐らく
1ヶ月でアメリカを追い越すと思います。

まぁ、普段できてないからこういう活動をするんですけどね。正直日本人の仕事でのチーム
ワークは世界一と思うけど、どうでしょう?


2003.11.1 休日?
何だかんだ言って、休日出勤。風邪ひき中なんで勘弁してくれ!


2003.10.31 マンホール
日本からお客さんが来てたんで、王朝ホテル(5つ星)の高級広東料理店で晩餐。一人遅れて
合流することになったんですが、“マンホール事件(未遂)”発生!中国でマンホールと言えば、
鋭い方はお解かりのはず。蓋をしていないマンホールの穴に落ちそうになった!バスを見る為
後ろを向きながらダッシュ中、後2歩というところで、気付いたんで助かりました。ったく、マンホ
ールの蓋閉めないんなら入れないように柵でもしとけよ!中国ではよくある光景です。


2003.10.29〜10.30 感冒了
どうやらではなく、風邪ひきました。会社休もうと思ったんですが、幼稚園の水疱瘡と中学校の
胃炎以外病欠をしたことがないんで、気合で出勤。風邪くらいで休めませぬ!


2003.10.28 感冒了?
どうやら風邪をひいてしまったようです。SARS対策でインフルエンザの予防注射は打ったんで
ただの風邪と思いますが…。

今テレサ・テンのCD聞いてます。「月亮代表我的心」が入ってない…。


2003.10.27 日本一
基本的に中国語の勉強の為、日本の番組は禁止している我が部屋ですが、日本シリーズ
最終戦ということで、スポーツニュースを見ました。私は東京生まれ東京育ち、1年の北京、
3年半の名古屋を経て今青島にいるわけですが、野球は広島東洋カープファン。広島行った
ことないんですけどね。というわけで特にどっちを応援しているとかはなかったんですが、
せっかくだから阪神に勝って欲しかった…。

今レスリーのテープ聞いてます。彼も「月亮代表我的心」を歌ってるんですね。


2003.10.26 三国同盟
朝起きてすぐホテルから変圧器を借りてプレステの確認。最初は反応がなかったんで、
ビビッたけど、何とか無事を確認。

昼は遠出はせず買い物。CDラジカセを199元≒3,000円で購入。早速レスリー・チャンの
テープとテレサ・テンのCDをゲット。

夜は三劉掲示板に書き込んで頂いた諸葛第三夫人さんとお友達とお会いして会食。三国志・
中国の話をいろいろできてよかった。うぅ、諸葛〜さんの三国志に対する情熱には敬服。私も
負けていられませぬ!


2003.10.25 プレステ炎上?
何だかんだ言って休日出勤。これを機会に会社までチャリで行ってやるかと思ってたら、
今日も車を出してくれることに。感謝。でも帰りは遅くなってオンボロ125路バスで帰宅。

帰宅後は荷物の整理。早速、プレステ2が長旅で損傷していないか確認。と、誤って220V
電源にコンセントを差し込んでしまった!主電源は入れていないから大丈夫のはずだけど、
同時に変圧器が壊れて、確認ができない。心配になってネットで調べると、220Vに挿すと
“煙を出して燃える”らしい。まだ、燃えてないから大丈夫か?


2003.10.24 奇跡!
奇跡的に私の日本からの荷物が届いた。あまりに遅かったんで、もはや奇跡としか言い
ようがない。明日は休日出勤の為、整理はほとんどせず就寝。


2003.10.23 騙し、騙され…
今日は会社が終わった後に、お客さんと会食することに。一人遅れて会場に向かうことに
なった為、やむなくタクシーに乗り込む。運ちゃんとの会話のテーマは「中国人について」。
運ちゃん曰く、“俺は中国を愛しているけど、中国人はだめだ。いつも騙すことを考えている。
騙すのが正常で、騙さないのは異常だ!だからお前は中国でビジネスするなら十分気を
つけろよ。”?もしかしてこれは俺からぼったくる為の布石か?と思ったけど、この運ちゃん
本当にいい奴で(?)ぼってこなかった。おちとしては“だから俺がお前からぼったくるのも
正当なんだよ!”とか言ってくるのかと思った。

やられたらやり返す!ぼられたらぼり返す!ってのはだめ?


2003.10.20〜10.22 後遺症
当然の如く泰山一気登りの後遺症に悩まされることに…。とにかく普通に立ってるのが非常に
辛い。いつになったら治るんだ?せっかく日本から元上司が来てくれているのに、こんな姿
とは…。


2003.10.19 東岳泰山一気下りコース
5:30起床。一発で起きれたのは奇跡としか言いようがない。90%の人民がレンタル軍大衣
(解放軍が着ているコート)を着ている中、一人出勤用のスーツを着て頂上を目指す。“朝だか
ら出勤なんだよ!”と自分を納得させるも寒くてたまらない。(実は日本から送った荷物がまだ
届かず、スーツくらいしか防寒になる服がなかった…。)

にしても、普通の日曜日なのに、“この人だかりは何なんだ?お前らありんこ?”ってくらい人が
いる。日の出に向けて徐々に明るくなってくる。そして太陽が顔を出した瞬間、大歓声!この日
は雲海はなく、ちょっと太陽が明るすぎたけど、久しぶりに人民と共同作業を成し遂げた気分。
さすがにサル君が、中国旅行で最も感動した泰山御来光だけのことはあった。ちなみに
日の出を撮影した瞬間、またもデジカメの電池が一気にゼロに。いい加減にしてくれ!

御来光を仰いだ後は、青島にまっしぐらに戻らねば。一段抜かしで階段を駆け下りる。昨日の
疲れが残っているせいか、最後は踏ん張りが効かず、立っているのが限りなく辛い状況に…。
結局、下りは1時間50分で到着。

泰山新汽車站から日に一本の青島行きバスを数分の差で逃したのは大誤算。仕方なく、ZI博
まで行って乗り換えることに。約2時間で到着?バス停らしき所で降りると、なんかしょぼい
街だ。“以前来た事あったけど、こんなんだっけ?”と思ってると、実はZI博手前のZI川だった
…。バスの中でずっと寝てて意味不明の中降りてしまったのだ…。

でもこんな田舎町でも青島行きが日に2本だけあった。しかも1時間半後に出発。まぁ、運が
いい方か。でも運が悪かった…。暇つぶしに羊肉串を食おうと寄った店の少女に“あんたの
言っている言葉は聞き取れないわ!”と言われ、販売を拒否された。大ショック!というか怒り
爆発。“田舎娘が!普通話をまじめに勉強しろ!”さらには13:30発のはずがバスが来る
気配なし。焦りと怒りで爆発寸前にやっと来た。乗員発表!@運ちゃん1名。A客わたわた
1名。以上!出発!!

とこんな採算のとれないバスが定期的に運行されるわけもなく、途中ZI博を経由してわんさか
人民を拾って再出発。結局青島到着18:40。(泰山汽車站出発は9:50。)あぁ、こんなん
だったら、無座でもいいから火車で帰ってくりゃよかった。もしくは済南経由の方が早かった
な。まだまだアマちゃんのわたわたでした。
5:46
6:20
6:23


2003.10.18 東岳泰山一気コース
遂にわたわた長年の夢、泰山チャレンジの日がやってきた。計画では6:00起床で、即出陣。
6:00に起きてみるとまだ薄暗いではないか…。“ねぇよ〜っと”というわけで、朝飯もしっかり
食べて7:00発。

青島站で8:30発の火車に乗って14:00過ぎに泰山站に到着。ガイドブックによれば登りは
麓の岱廟から徒歩で5〜6時間かかるらしい。中国三大宮殿の一つ岱廟を参拝してから泰山
に登る。わたわたも古来より先人達がやってきた登り方にならう。

さすがは有名な廟だけあって、岱廟を見終わるまで時間がかかり、登山開始15:30。ここ
から5時間かかるとすると20:30頂上着…。これはやばい…。恐らく、暗いし、寒いし…。
やはり兼ねてからの予定通り、一気登りで日が暮れるまでに登るしか生きる道はない!!

スタート!まずは第一の廟、関帝廟!山東省の関帝廟では恐らく最大か?青島関帝廟も復活
して欲しい。泰山登りは途中様々な廟を参拝しながら頂上を目指す。さながらセイント星矢の
12宮突破のようだ。“日没までにアテナを救う!!”と勝手に頑張るわたわた。

と、ここでゴールドセイントが立ち塞がった!ある人民の後ろをとり、スリップストリームから
抜け出してぶち抜こうとした瞬間、きゃつはダッシュしたのだ!うぅ、この光景は北京勝ち歩き
大会と同じだ。この瞬間わたわたの目的は“アテナを救う”ことから“キャンサーデスマスク”を
闇に葬りさることに変更。しかし後一歩のところで逃げられてしまう。デッドヒートが延々と
続くかと思われたその時、デスマスクがコースオフ!!何でも“鍛錬で走っていたけど、
疲れた。”らしい。

後は自分のペースで一段抜かし戦法。山の半分の中天門まではかなりのハイペースを保つも
本番はここから南天門までの「十八盤」と呼ばれる急勾配。これは12宮を遥かに超える
斜度だ!多分星矢も息切れもんだな。さすがにペースががくりと落ちて、日も傾き始めたんで、
観光より目的地到着が先決。やっとのことで頂上近くのホテルに着いた時は、日は完全に
落ちてた。やばかった…。結局、18:00着。2時間半で登りきった!

ホテルは2つ星の仙居賓館。これが今まで泊まったホテルの中で間違いなく最低。部屋代
300元、出るはずのお湯は全く出ない、寒くて寝れない、重ねた布団が重すぎて押し潰され
そうになる…。お湯は既に裸だったんで、小姐を呼ぶのもめんどくさく、水風呂。気温3度
だぞ!

明日の5:30起床に向けて21:30就寝。起きれなくて御来光見れなかったらアホだし。
青蔵高原関帝廟の写真有り!
やっと半分“中天門”
頂上はもうすぐ。“南天門”


2003.10.17 ヨーグルト
中国に来ると日本では普段飲まないコーラやヨーグルトをよく飲みます。正直、おいしい飲み物
が少ないのが原因なのですが、ヨーグルトは美味い!瓶に入ったみかけはたいしたことない
ヨーグルトがお勧めです。今日はホテルの週末プレゼントにヨーグルトを選択。平日の激務
(というか“圧力”)を忘れさせてくれる味でした。


2003.10.16 続、神舟5号
神舟5号、無事に戻ってきました。でも、騒いでいるのは中国だけなのかなぁ。日本のTVを
全く見ていないんでいまいち状況がわかりません。

日本に帰りたいとは全く思いませんが、日本のTVが見たい。世界不思議発見、ノブナガ
(東海テレビ)、あいのり、K1、PRIDE、鉄腕ダッシュ、しゃべりば、ガンダム…。私が戻る頃は
終わっる番組もあるんだろうな。


2003.10.15 神舟5号
朝TVをつけると神舟5号打ち上げ間近のニュースをやってました。夕方会社で新聞を見て
打ち上げ成功を確認。今も関連ニュースをずっとやってます。それにしても打ち上げ成功は
今の中国の状況を表してますね。日本は有人飛行もリニア実用化も先を越されてしまった…。
でも中国の発展形態は日本のとは全く違い、取り残されている地域・層を無視してでも突っ
走ってる。こういうやり方はむしろ今の日本に必要な気がするけど…。


2003.10.14 感冒了?
青島は冬です。早く服が届いてくれないと本当にやばい。風呂入った後は、半ズボンに
半そでの下着だけで過ごしてます。何でも青島は市の政令で11月にならないと暖房が
入らないらしく、せっかくのファイブスターの空調も全く意味なし。会社も寒いよ〜。昨日までは
半そでの作業着で過ごしてました。

2003.10.13 ネムネム
休みに怠けすぎたせいか、超眠い。今まで平日は朝飯ゲットに成功したことがなく、この日は
久しぶりの再チャレンジでしたが、やはりだめでした…。うぅ、ファイブスターの飯を毎日ドブに
捨ててるようなもんです…。


2003.10.12 冬到来?
今日は朝から雨&風。外は超寒い。まるで日本の真冬なみ。火車站と長距離バス停を見て
まわる予定が、風で傘もさせず結局はホテル待機。中国銀行の通帳とキャッシュカードを
作って、国慶節旅行の写真を現像して…、せっかくの休みが終了。


2003.10.11 SARS再来?
国慶節旅行明けですが、今週末は泰山行きを狙ってました。早く行かないと山は寒くなるしね。
それが、会社からインフルエンザの予防接種の案内があって、(強制ではないです。)急遽
上司と一緒に行くことに。冬にSARSが再流行する可能性もあり、インフルエンザにかかって
誤解されないようにとの未然の措置です。SARAには一度ゴールデンウィークの中国旅行を
潰されてるけど、またしても…。とにかく、冬に再流行するのだけはやめてくれ!


2003.10.10 補給物資はいずこ?
青島に来てから約1ヶ月が経ちましたが、日本から送った物資がまだ届いてません。“うぅ、
大量に送った勉強道具がないと勉強できんぞ!”というのは言い訳で、そろそろ服が届か
ないと基本的生活に支障が出てくる季節です。それに映画DVDと音楽テープ、遺跡資料、
PS2…。私に人としての最低限の生活を返してくれ!(最初に日本から来る客人に三国無双3
猛将伝を頼もうと密かに考えてます。)

というわけで、今日海関に手続き行ってきました。これから検閲やら何やらやるそうで、まだ
1週間はかかりそう…。


2003.10.9 初給料
3年半前に会社に入ってから初めて給料をもらった時の感想は“俺は給料泥棒では?”
でした。始めは研修なんで、実質働いてないし。今日は中国に来てからの初給料をゲット。
驚くかもしれませんが、中国での支給分は中国元の現金で手渡しです。基本的には元から
日本円への換金はできないに等しいので、帰るときは元をゼロにしておかないとなぁ。
(まぁ、私は生きている限り中国に来ますが。)ということは、豪遊ができる!?うぅ、実際は
そうはいかないようです。


2003.10.8 休み明け…
長期の休み明けはいつも憂鬱なもの。でも今回は旅行中から仕事のことで頭がいっぱい
だったことと、日本ではないボーナス休日だったんで、すんなり社会復帰できました。

駐在員生活の場合、留学生生活とは違い日本食ばかりになってしまうのですが、今日ばかり
はちょっとだけ日本食が待ち遠しかったです。


2003.10.7 青島帰還
旅の最終日にも三国遺跡を捜索できるというのは大きい。日本に戻る必要がないわけで。
と言ってもぐずぐずしているわけにはいかない。6:30起床後、関帝廟・荊州城門を見学。
最終日になって今回初めての朝飯もしっかり食べて、急ぎ沙市に戻る。

荊州→武漢は高速バスが走っており所要3.5時間。武漢は何度も来てるけど、街がでかい
上に、通過することもしばしば。有名な卓刀泉(関羽が青龍偃月刀を突き刺した跡から泉が
湧き出したと伝えられる)は毎回行こうとしてパスしてきた場所。有名なわりに敷地が狭い
けど、雰囲気はなかなか。

飛行機の時間が迫っていたんで、行こうか迷った挙句ダッシュで亀山に登る。ここにはかの
有名な三国武将百官の石像がある。今回の目的は甘寧像を見つけること。過去二回来てる
けど、ネームプレートがはずれていたらしく、甘寧はいないことになっていた。今回は即発見!
“もしかしてこいつは最初甘寧じゃなかったのかも。後から甘寧がいないことに気付いたのか、
中国にも甘寧の大ファンがいたのか…。”と余計なことを考えてしまった。

今回は駆け足の旅になってしまってゆっくり出来なかったけど、自分が本当に行きたかった
遺跡にいくつも行けて大満足。旅行前に手配しておいたホテルのバス(無料)にたった1人乗り
込み今回の旅を振り返ったわたわた…。
荊州関帝廟。見所満載。
亀山甘寧。陽新・万州には及ばぬ!


2003.10.6 目指せ、中国銀行…
6:30起床で早速、周倉墓へ。当陽→沙市行きのバスに乗って麦城付近で降りるのが上策と
みた。バス停の服務員に聞いても同じ答えが返ってきたけど、沙市行きバスは出たばかり…。
仕方なくタクシーをつかまえることに。この運ちゃん、なかなかいい奴だ。周倉墓に行きたいと
言うと、他の三国志関連遺跡や物語の解説をしてくれた。“うん、うん、知ってる!”とうなずくと
“お前は三国迷(=三国志オタク)だな!”と。

三国遺跡の旅をする人にとって、この周倉墓を自力で行けるかどうかで、捜索困難遺跡を
クリアできるかの一つの指標になるのでは?街からは結構離れており、簡単には行けない。
長距離バスの方面選択と、何よりも三国志が好きでないとわざわざ来ない場所だろう。うぅ、
タクシーを使って(片道38元)楽々行った私の判定は…、A〜E判定でCかな?まぁ、自分に
あった方法・ペースでアクセスすべし。

周倉墓は平常は門が閉ざされているようで、(昔は畑みたいなとこにぽつんとあったらしい。)
入り口横にいる管理人に開けてもらった。入場料10元。架空の人物の墓にしては素晴らし
すぎる。しっかりとした塚と墓碑。墓の後ろには塑像と廟もある!運ちゃんは“別にたいしたこと
なかっただろ?”って言ってたけど、感想一言。“すごすぎ”

滅多に乗らないタクシーついでに関羽が霊となって現れた玉泉寺にも連れて行ってもらった。
ホテルのおじさんの話では“玉泉寺までのバスはない”らしいので、まぁいいか。ここは三国
遺跡というより歴史ある寺、森林公園として有名。

街に戻る途中、バス停近くに“関公文化園”なるものを発見!でも中はだだっ広い公園で、
特に目をみはるものはない。無錫の三国城のようにしたかったらしいけど、見事中途半端に
終わっている。

当陽最後の遺跡は太子橋と娘娘井。助けなくてもよかった阿斗が救出された太子橋は、橋と
言っても今は河はなく、イメージと違った。劉備の妻・麼夫人が身投げした娘娘井は太子橋
からまっすぐ進み突き当たりを右に。井戸一つにしては敷地が整備されている。

いつまでも運ちゃんに頼りっきりではいけないと、関公文化園・太子橋・娘娘井をダッシュで
まわり、見学後即沙市(荊州)へ。沙市着14:00。なかなかペースがいい。気合入れれば
荊州市内の遺跡は今日ほとんど見れる。明日は青島に帰るんで急がねば。

と、ここで一大事に気付く。残金わずか50元!(実は宜昌の中国銀行に国慶節期間だからと
換金を断られている。)面倒なんで、バス停近くの3つ星ホテルで換金してそこに泊まろうと
すると、“換金してません。”の返事。うぅ、と悩み悩んだ挙句出した結論は、荷物を持って
とりあえず、観光を続けること。まずはすぐそこの中山公園へ。園内には春秋閣と赤兎馬像が
ある。春秋閣は普段閉まってるみたいだけど、中に関羽の御神体が見えた。

園内でたっぷり迷って時間をロスした後に、バスで荊州城内に向かう。まずは三国公園。
三兄弟の像はなかなかかっこいいが、“人民よ、お願いだから像の上に乗って写真を撮るのは
やめてくれ。”またも出口がわからなくなり迷った…。

次は公園出口からすぐの荊州博物館。サルの話では三国志関連の展示物があるとのこと
だったが、今はやっていないらしい。(前漢時代のミイラがメイン)敷地内には関羽像が
あるんでお見逃しなく。

さて、もう16:30だ。そろそろ遺跡捜索を中断して換金せねば大変なことになる。と博物館
近くで中国銀行発見。う〜む、みるからに小さいんで、換金できなそう。案の定だめだった
けど、中国銀行の荊州本店ならできると言うではないか。早速バスに乗って黄金堂にある本店
を目指す。中国銀行はいずこじゃ!?そろそろ17:00をまわる。バッグをかついで怒涛の
進撃開始!見えた!!もらったぁ!早速服務員に聞いてみると、“8日まで換金できません。”
何だと!?8日は俺は青島に戻ってバリバリ仕事してなきゃだめなんだぞ!そこんとこ理解
してんのか?こうなったら、ATMでマスターカードクレジットカードを使って人民元を引き出す
しかない。そこで、聞いてみると“街の中心にならATMはあるけど、あなたの持っている国際
クレジットカードは使えないわ。”が〜ん!が〜ん!!その場にへたりこむわたわた。“この
状況は、もしかしてちょっとだけやばいのでは?”と気付く。そこへ一人の服務員が声を
上げた。“荊州賓館!そうよ、荊州賓館なら大丈夫よ!!”そうか!この街に換金できる
ホテルがちゃんとあるのか!(と言っても一つだけ)

結局来た道を全力猛ダッシュで引き返す。無事4つ星荊州賓館にチェックイン。ふぅ、助かった
ぜ。次回の旅行までには中国で口座を開いとかないとね。そろそろ18:00だが、まだ行ける。
地図に載ってなかった関帝廟はホテルの小姐によればすぐそことのこと。徒歩5分で到着する
も既に閉門。次!関公括骨毒癒処。ここも地図に載っていない。昔、中央電視台の番組で
病院の中にあると言っていたような…。市中心医院付近まで行って聞き込み開始。知っている
人をようやく見つけた。やはり病院の中にあるらしい。日が沈んでから到着。関羽が毒矢を
受け神医・華佗に治療してもらっている場面が塑像で再現されている。

今日は途中から中国銀行探しになってしまったけど、明日は無事に青島に戻れそうだ。
周倉って本当は実在してたりして?
病院と言えばやはり華佗
荊州賓館(4つ星)に助けられた


2003.10.5 張飛像VS趙雲像
今日の最低目標は宜昌の観光を終えて、当陽の遺跡をいくつか見ること。というわけで、
今日も起床6:30。早速火車站付近から出ている10路バスで三遊洞に向かう。せっかく、
早起きしたのに、始発バスは7:10。三遊洞開門は多分8:00から。閉ざされた門前で一人
待っていると、係りの人が少し早く開けてくれた。

三遊洞は唐の白居易、北宋の蘇軾らが訪れたことで有名な観光地。その敷地内に張飛擂鼓
台、峡口軍塁(三国時代からの軍塁。当時陸孫がこの地を守備している。)、劉封城がある。
張飛擂鼓台の張飛像は像の出来栄えもピカイチだが、何よりも長江を背にしたロケーションが
素晴らしい。思わず写真を撮りまくってしまった。トータル面で合肥・張遼像、当陽・趙雲像を
上回る。

感動を胸に、次は夷陵の戦いの舞台であるオウ亭古戦場へ向かう。(長距離バス乗り場付近
から101・102路バスなどで行ける。)宜昌と言ったらオウ亭古戦場がメインと思ってたけど、
歴史的に価値のある遺跡などは全くなく、三国志テーマパークと化している。正直ちょっと
がっかり…。面白かったのは200元前後で武将の名前がついている“兵舎”に宿泊できる
こと。見学していた時には兵舎を再現してるにしては近代的過ぎでちゃちいと思っていたけど。
泊まるならエアコンなきゃな。妙に納得したけど、一体誰が泊まるんだろう?

宜昌の観光を終え急ぎ当陽へ。14:30頃に到着したから当陽もまだまわれる。当陽着後、
バス停のすぐ横にかの有名な趙雲ブラック像が!思ったよりでかくて、存在感たっぷりだ。
ホテルは像のすぐ後ろの当陽大酒店。部屋から趙雲の後姿がすぐそこに!

ホテルのおばちゃんに聞いてまずは4路のバスで関陵へ。思えば蜀ファンのくせして三大
関帝廟は今まで洛陽・関林にしか行った事がなかった。雲長殿、今行くぜ!

首塚は洛陽・関林。胴塚はここ当陽・関陵。どちらも規模は同じくらいで見応えがある。関帝廟
の総本山、解州関帝廟は更に上を行くのだろうか?次回の出撃地は山西省解州周辺に
決定だ!

街まで戻って趙雲像横の長坂坡に向かう。公園内の趙雲像は有名だが、趙雲はともかく、
他の像がかなりちゃちい。三遊洞に行った後にオウ亭で受けた落胆と同じく、関陵の後では
長坂坡もかすむ。

本日最後の捜索地は張翼徳横矛処。街の北東にあるらしいので、その方向に向かって適当に
歩く。1時間程歩いて聞き込むと前方にあると言う。何やら亭が見えてきた。あれか!と、碑に
猿がへばりついている!?何?と思いきやガキっ子人民だった。こやつは私が見学している
間ずっと碑から離れない。面倒なんで、まとめて記念撮影。

さすがに疲れたんで、街までは荊門方面から来る長距離バスをひろって帰ろうとしたら、
“ここはもう当陽だろうが!”って言われたのにキレて、結局また徒歩で戻る羽目に。

うぅ、当陽の街はさびれすぎだぞ。(奉節以下か?)それでも夕飯に久しぶりに羊肉串に
ありつけたのは大きかった。
長江を見据える張飛像
当陽ブラック趙雲像
趙雲像が見える!当陽大酒店


2003.10.4 ボリ夫、再来
またも、6:30起床!ホテルのおばちゃんの話では、白帝城まではバスを乗り継いで5元。ガイド
ブックにはバスターミナルから徒歩20分とある。朝も早いんでここはいっちょ走ったるか!
走り、走り、走り…。何だかんだ行って1時間かけてやっと三峡の入り口が見えてきた。白帝城
はあそこだ!とダッシュすると、前方は河。橋はかなり奥の遠方にあるではないか…。とどめ
は“白帝城10km”の標識がわたわたの目の前に立ちふさがった。“ぐはぁ、ここまで約7km、
まだ半分以上もあるんかい!”

結局ボリタク利用。結論から言おう、ぼられた!相場は知ってたけど、朝早くて他に客がなく、
時間もないことだし…。何よりも青島でのファイブスター暮らしでなまっていたのが最大の敗因
かもしれない。(もちろんボリ夫の言い値では乗ってないけど、こいつがなかなかしぶと
かった…。)まぁ、6人乗り合いワゴンを1人貸切で行ったから、考えようによってはちょい高め
とも考えられるけど…。いずれにせよ、ボリ夫は“遠い”だの“道が悪い”だの何度も繰り返して
いた。まったく、言い換えれば“私はぼってます。”と言っているようなものなのに。“ボリ夫よ、
ありがとう。ボリ夫撲滅委員会会長としての魂を取り戻したよ。私は貴様を絶対に許さん!”

気分一新、三国遺跡三大聖地の一つ、白帝城に到着。“元劉備支援の会・会長として遅ら
ばせながら遂にやってきましたぞ、玄徳殿!”劉備託孤、観星亭、明良殿…、満足!やはり
三国志の主役は劉玄徳なのだと再認識。

白帝城を後にして懲りずに魚腹区まで歩く。永安宮があるらしい師範学校までは、近くまで
行って聞き込みしたけど、“没有”の答えに諦め撤退。ホテルのおばちゃんも沈んだと言って
たっけ。ちゃんと移設したはずだけど、今回はパス。

甘夫人墓は第二招待所改めキ州賓館にあるらしい。早速、そのホテルに行くと建設中。
聞いてみると甘夫人墓は新県のキ州賓館ではなく、老県のキ州賓館にあるとのこと。この
一言を聞いて全てのパズルピースが組み合わさった瞬間、崩れ落ちた!奉節は半分水没
すると聞いていたけど、元の奉節は老県、自分が初日着いたのは新県。だから新県で
永安宮、甘夫人墓について聞き込みをしてもアパっていたのだ!そして白帝城もかなりの距離
があったわけだ…。気付くのが遅かった。1時間後の高速船のチケットを入手済み…。

せっかくの三峡なのに高速船で移動。三峡ダムの手前のシ帰でバスに乗り換え、宜昌まで。
三峡ダムは遠目から見ることができた。このダム一つで長江の上流、下流の全ての生態系が
かわるらしい。遺跡の多くも沈むし、まぁ、ここまできたら中国の威信をかけて完成させて
欲しい。
我らが永遠のヒーロー劉玄徳
奉節の街は階段だらけ…


2003.10.3 ν張桓公廟
6:30起床成功!万州→雲陽は近いから又もバスを選択。所要1.5時間。目指すν張桓公
廟は元の場所から西上流約20kmの所に移設したらしい。新しい街(新県)から対岸の廟まで
2元の船で向かう。旧廟は船着場から急な斜面を階段で登って行ったけど、ν廟は船着場
から徐々に階段を登っていく形。旧廟のほうが雰囲気がよかった気がする…。

中は以前とほぼ同じ。(まぁ、6年前の記憶ですが…。)さすがエジプトのアブシンベル神殿ばり
の移築技術だ!それで門票5元というのは素晴らしい!今も拡張工事中なんで、これからも
楽しみですな。

11:00には見学終了。早速奉節へ!と思いきや、14:30までバスがないではないか。しかも
昼は1本のみ。仕方ないんで、昼飯がてら雲陽の街をひたすら歩く。思ったより発展してる
じゃん。地図ではホテルが1つもかいてなかったんだけどね。

14:30発、所要4.5時間!これは失敗だった…。高速船を使えば恐らく半分の時間で
済んだだろうに…。徐々に三峡に近くなり、道も険しくなる。わかっていたけど、ここまで
とは…。白帝城は夜10:00までやってるらしいんで、アタックしようかと思ったけど、道が
真っ暗な為、断念。永安宮と甘夫人墓について聞き込みするも、人民の反応はどれも
“あぱあぱ”。本日終了。
張桓公廟お馴染みの三兄弟像
奉節詩誠賓館(星なし)


2003.10.2 重慶万州人・甘興覇
6:30起床!わたわたにしては素晴らしい!7:30万州行きバスゲット!!(朝天門長距離
バス停)所要7時間。うぅ、高速船の方がちょっと早かったか…。まぁいい。甘興覇待ってろよ!
万州行きバス停で青龍瀑布(甘寧郷)行きバスについて尋ねてみる。撃沈!えぇい、
タクシー!“遠いから嫌だ。”またも撃沈!?と思いきや青龍瀑布行きの別のバス停まで
連れて行ってくれた。到着と共に小共(ミニバス)の窓に貼られた“甘寧”の文字が飛び込んで
きた。同時にわたわたも小共に飛び込む!(青龍瀑布は甘寧郷にある。)

1時間程で青龍瀑布に到着。昼飯ぬきで爆進したけど、既に4時を過ぎている。急がねば野宿
ぞ!1km先の入り口までダッシュで駆け下りる。門票を買って引き続きダッシュ!と塑像が
見えてきた。まさしく甘興覇!陽新の甘寧像は重厚感があって“GOOD”!だが、こちらも
なかなか凛々しくて“好”!ではないか!サルがいたら狂喜乱舞していただろうな。

“サブ”の青龍瀑布もなかなかすごい。さすが“亜州第一”をうたっているだけのことはある。

最後に甘寧墓(衣冠塚)をじっくり拝む。サルがいたら気絶もんだろうな…。まぁ、土産に写真を
バッチリ撮ったるで!とデジカメの電源を入れた瞬間、電池切れのサインが…。さっきまで
電池100%ありって示してただろうが!!昔乗ってた原付の燃料メーターが半分過ぎると
減りが異常に速くなるのよりわけが悪いぞ!100から0だと!?このままではサルに
殺られる!!と、今回に限って一眼レフの重いカメラを持ってきていたことを思い出した。ふぅ、
よかった。にしても本当に運が悪い。

見学後ダッシュで1kmの路を駆け上がり、万州行きバスゲット。いろいろとあったけど、
今日中に甘寧故里に行けたのは大きい。幸先は“好”!
重慶万州人・甘興覇
“亜州第一”青龍瀑布
万州長江大酒店(3つ星)


2003.10.1 歓度国慶
9ヶ月ぶりの三国遺跡の旅、今回の目的地は重慶&湖北!メニューが甘寧故里、ν張飛廟、
白帝城…ときたら嫌が上にも士気が高まるけど、日本からの荷物が届いておらず、資料が
ほとんどない。重慶行きの飛行機は14:30発なんで、朝は重慶と中国の地図を買いに。一通り
の情報はネットで捜索したものをメモ。(ROVERさん、いつもありがとうございます!)後は
気合でカバー!とばかりにいざ出陣。

重慶は北京・天津・上海に並ぶ直轄市であり、工業の街(バイクメーカーがたくさんある)として
発展しているのに、きれいで異国の雰囲気が漂う青島から来てしまうと、一言。“汚い、暗い”
となってしまう。斜面に高層ビルが林立している様は“色のない香港”で面白いんだけど。

重慶に用はないんで、間に合えば万州行きのバスに乗りたかったんだけど、アウト…。船で
寝るのも勘弁…。船底で寝る散席の映像が頭に浮かぶ。そういやサルは白帝城に行く時、
恐ろしいほど船に乗ってたと言ってたっけ。

6年前泊まったホテルが満員で宿泊を断られた時はさすが国慶と焦った。思えば国慶節
期間は5年前に友達を訪ねて瀋陽に行ったくらいで、まともに旅行をしたことがなかったな。
ロウ中名物・張飛黒牛肉
重慶渝都大酒店(3つ星)


2003.9.30 資料集め
明日からの国慶節は久しぶりの完全三国遺跡捜索の旅になります。気合とは裏腹に資料が
全く整っていません。結局日本からの荷物がまだ届いておらず、インターネットで情報集め。
明日早く起きて新華書店に地図買いに行く予定です。後は現地調達ですな。


2003.9.29 F1
今日の楽しみは昨日頑張って録画したF1アメリカGPを見ること。(ビデオにタイマー機能が
ない為、深夜2:00に一度起きて録画開始。テレビ消すと録画できないんで、つけっぱなしで
再就寝…。)
部屋に戻ってきてある変化が…。テレビがでかいのに変わっている!中国はビデオの
普及率が低いため、ビデオ接続ができないテレビもある。もしやこの四川生まれの長虹
電視機も…。不安とともにビデオを起動させると、やはり写らないではないか!是が非
でも服務員から前の日立製テレビを取り返してやる!と意気込んでる途中、服務員の配線
接続ミスであることが判明。3秒で直して無事F1観戦できました。
シューマッハが6度目の王者をほぼ手中に…。せっかく日本GPが盛り上がると思ったのに、残
念です。


2003.9.28 休日はいずこへ?
ようやく長い出張が終わり青島へ。と言っても朝8:00の飛行機に乗り、9:00空港着。会社には
9:30には着いてました。いつもと変わらんじゃん。というか今日日曜だよ。まぁ、国慶節休み前
の休日調整なんでしょうがないか。

ホテルに戻って国慶節の航空券を予約。青島→重慶、武漢→青島です。帰りはビジネスクラス
しかないとのこと。ただでさえホテルで予約して高いのに…。まぁ、今回はバタついてたから
しょうがないんですが。
これで国慶節は三峡方面出撃が決定しました。


2003.9.27 孫仲謀VS孫中山
仕事終了後、中国人の同僚と中山陵に行ってきました。これは5度目の孫権墓に行ける
チャンスだったんですが、(中山陵の隣にある明孝陵の中にある)時間が遅かったため、
アウト…。孫権くん、皆勤賞ならずごめんなさい。
タクシーの運ちゃんと中国人の同僚との会話中、孫権墓について話したら反応薄かった。
というより、南京に孫権墓があることを知らなかった。南京といったら、孫中山じゃなくて
孫仲謀だろうが!!

夜はその同僚が知り合った女の子と食事することに。二十歳というから“どこで知りあった
んだ?”と思ったらカラオケ店の小姐。中国のカラオケは小姐がつくところが多いみたい。
私の同僚はカラオケにしてはかなり過激なことやってたんで、中国も変わったなぁ…と。

にしても客と一緒に騒ぎまくり、食いまくり、飲みまくる…。給料は客の前でばらまく…。やはり
中国でした。

今日の収穫は飛行機に乗って旅する相手に“一路順風=お気をつけて”は使ってはいけない
と小姐に教えてもらったこと。風が吹き過ぎると飛行機の旅は危険ですよね。言われれば、
かなり納得。この場合は“一路平安”を使うんだそうです。


2003.9.26 いざ、駐馬坡!
会議は朝9:00から。なれば、朝早く起きて駐馬坡を目指そう!と寝る前は思っていたけど、
やはり無理でした。会議直前まで起きれず…。
しかしこの日は幸運なことに午後はフリーと判明。早速、諸葛亮がかつて訪れたという駐馬坡
(清涼山)に直行。なんと清涼山公園内で迷ってしまい、やっとのことで駐馬坡へ到着。“あぁ、
こんなんで、今後待ち受ける捜索困難な三国遺跡をクリアすることができるのか?”とちょい
不安になりました。

次は個人的にいろいろと意見のある「南京“事件”記念館」。瀋陽の「9.18事変記念館」に
行った時にも感じましたが、少なくとも日本人が見て気分のいいものではありませんが、
知っておく必要はあると思います。(ここらへんは非常に難しい問題なんで、個人的意見は
書きませんが、日本側・中国側それぞれの主張・資料を比較することが重要です。)
地元の学生が大挙して押し寄せてました。

ホテルに戻る途中、3年半前にも訪れた諸葛飲馬処を見てきました。無事残っていて一安心
でしたが、何も変わっておらずちょっと残念。(諸葛亮像や武侯祠が出来ているのでは?と
ちょっとだけ期待していた。)
諸葛飲馬処
傾斜の石に“駐馬坡”
南京事件記念館
3年半前と変化無しの諸葛飲馬処


2003.9.25 五度、南京
無錫から南京へ移動。宿泊ホテルは街の中心に近い南京古南都ホテル(5つ星)!やった!
これで、隙あらば観光できる。仕事の関係で部屋で待機してたら、いつの間にか5時間経過。
何だよ時間あるんだったら、外出すればよかった…。


2003.9.24 無
仕事が始まるまで散歩。30分程歩いても特筆すべきものは何も無し。こりゃ南京に賭けるしか
ない!?
ちなみに無錫は今回で3回目。


2003.9.23 無錫、東…
午後から出張で江蘇省へ出撃です。最初の目的地は無錫ですが、飛行機で青島→南京まで
行き、南京から車で送ってもらいました。道が混んでた為、3時間かかりましたが、上海から
行っても同じようなもんです。“隙あらば「三国城」を目指す!”と気合入れてましたが、泊まった
ホテルは中心からみて北東の郊外。厳密に言うと無錫東。「三国城」は南郊外、太湖の
ほとり。絶望…。ホテルは4つ星(錫州ホテル)でなかなかでしたが。


2003.9.22 Z
今日はZの話です。え〜、私はジュドーよりカミーユの方が覚醒していると思う。とガンダム
話はまた別の機会で。申請していた居留証と就労ビザがようやく出来上がりました。Lビザは
旅遊(lu:you)、Fビザは訪問(fanwen)。となると就労ビザは?工作(日本語で“仕事”の意)
(gongzuo)のGビザだ!Gガンダムだ!もちろん不正解。正解は職業(zhiye)のZビザ。

本来は24日受け取りだったんですが、明日からの出張に備えて無理やり早めてもらい
ました。融通が利いたり利かなかったり…。中国ではやり方次第で何でもありですな。

明日から無錫と南京です。南京は行く度に必ず孫権墓によってましたが、(計4回/最も
行った回数の多い三国遺跡)今回はさすがに無理でしょう。近場で一つくらいいけたらいいな。

出張の関係で日記は数日掲載が遅れます。


2003.9.21 青劉版トライアスロン
わたわたのたてた完璧プランによると6:30起床でファイブスター朝飯を味わってから遅くとも
7:00出発。後はひたすらチャリンコをこぎまくる。目的地は片道約40〜50kmのラオ山。最大の
目的はふもとにある関帝廟。

“完璧”はいつもちょっとしたところから崩れ去る。まず!朝ねむかった…。起床、8:30…。
そして!出発しようとしたら腹の調子が急変…。更には!出発してからデジカメ忘れたことに
気づき取りに帰った…。極めつけは!道が超絶アップダウンあり…。折りたたみチャリで
タイヤの径が小さくギヤ無しなのに…。

それでもひたすらこぎまくり、海沿いの道をぐんぐん進む。なかなか気持ちがいい。途中、
山の風景区の入り口で50元の門票を買う。高速道路の料金所ばりの豪華さに係りの人は
チャリできたわたわたを不思議そうに眺めていた。途中人民にも“チャリで来てるぜ!好棒!
(ちょすご!)”と言われ、何が“好棒”なのか?と思ったが、すぐに判明。超絶登り坂。結局、
アップダウンは最終目的地まで続くことに…。

やっとのことで、ラオ山二大見所の一つ「太平宮」に到着。ここは張家界程ではないが、かなり
急な山で景色も圧巻。途中真っ暗な岩の中を突き進む所があり、恐怖では張家界を上回る。
ラオ山階段
ラオ山
フラッシュたきましたが、本当は真っ暗
太平宮の頂上付近の眺め
関帝廟捜索もあり時間がないが仕方なく索道(ロープウェイ)を使わず、登山開始。余裕と
思ったらかなり傾斜きつい。やっとの思いで、ロープウェイ到着場に到着。後は楽勝と
思いきや、ここから巨大の岩の中に入り暗闇を突き進んで急上昇。麓で懐中電灯を売ってた
訳がやっとわかった。前後に懐中電灯を持った人民がいなかったら危なかった…。

頂上付近から海が一望でき中国らしくない眺めを楽しめる。“次は泰山だ!”と誓い、麓まで
一段ぬかしで全力下山。急いで関帝廟捜索に向かう。地図や近くの旅行案内図にも出て
たんで楽勝と思いきや、出口の係りの小姐に聞くと、“右に戻ったところにあるけど、道がない
わ。”とのこと。港の近くという情報を得たので、そこの人民に聞くと、指差した先は土手の
向こう。本当に道がないではないか!さらに、“今は何もないぞ、ぶっ壊れたから。”とのこと。

いや、さっきの案内図にはちゃんと写真も載ってたんだからある!土手に登って、草と巨大岩
と蜘蛛の巣をかき分け突き進む。見通しが悪く、もちろん人っ子一人いないんで、後は自力
しかない。さっきの人民の話では“20分で着く”とのことだったが時間が過ぎた頃には草むら、
岩が高くそびえ遭難の危険を感じたため(大げさ)引きかえすことに。と、突然廃屋発見!
塀を乗り越え突入。確かに中には関帝廟の面影らしきものは何もない。黄忠廟・ケ艾廟と
同じく文革で破壊されていた。それでも出口で碑を発見できたのは大収穫。何でも清代の
創建とのこと。
関帝廟
関帝廟
写真では廃屋に見えない?
見えにくいですが“関帝廟”
最大の目的も達成し、用事もあることから急いで帰らなければ。こいでこいでこぎまくる!が、
登り坂で足がつった!“うぉぉ!?”急いで降りて足をひっぱると今度はももがつった!次は
すね!!“このままではやられる?させるかぁ!”と頑張って直るものではない。数分休んで、
チャリを引いて登ることに。思うに今日はチャリ+登山+遺跡捜索と三拍子そろっている
ではないか。まるでトライアスロンだ。“足のあらゆる筋肉を使った結果、足全体がつる現象に
なったのだ。”と冷静に分析。(そんなことしてる場合か?)

次は脱水症状が襲ってきやがった。関帝廟の塀から飛び降りたとき手から落ち、頭にも
振動がいったため、頭も痛いし。何も飲料を持っていなかったわたわたはやっとの思いで
観光地の土産物屋に到着。ペットボトルコーラを一気に飲みほした。

結局用事には間に合わず…。


2003.9.20 初!豪華海鮮!!
出張で山東半島の一番東端の栄成に行ってきました。地図で見るとすごいちっちゃそうな
街なんですが、さすがは山東省、栄成の中心はなかなかの街でした。

ここら辺はいわゆる中国の街とは異なり、道がきれいで広く、緑が多く、川、海もあるんで、
なかなか気持ちのいい所です。北海道と似てるんで、バイクで走ったら楽しそう。でも、高速
道路で逆送するトラックがいたんで、やっぱ中国。車・バイクは乗らんぞ。

昼飯は先方のおごりで、フカヒレ、あわび、なまこ、えび、蟹…、と海鮮三昧!青島に来てから
初めて高いもん食べました。

今回はカメラを忘れたのが悔やまれる。次回からはカメラ持参で行きます。

三国遺跡紹介HP≪三劉≫
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